天満宮二十五社碑 | 洛陽天満宮廿五社 |
天満宮二十五社はさまざまな組み合わせがあり、正直なところどれに該当するのかよく分かりません。
三番 安井天満宮 |
一夜天神 |
書聖天満宮 |
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天道天満宮 |
九番 火除天満宮 |
十一番 天満宮 |
廿四番 錦天満宮 |
碑文 | 所在地 | |||||
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3 |
【左面】文政四辛巳年 白梅講
【右面】■勸化■元伏見屋清左衛門[1]
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安井金比羅宮末社 安井天満宮 | ||||
(4) (8) |
【正面】一夜天神
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壬生寺内 一夜天神堂 | ||||
(5) |
【正面】洛陽二十五社 書聖天満宮
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道祖神社末社 書聖天満宮 | ||||
(6) (9) (10) |
【正面】洛陽二十五社天道天満宮
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天道神社末社 天道天満宮 | ||||
9 |
【正面】天滿宮廿五社第九番
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火除天満宮 | ||||
11 |
【左面】二十五■ 天滿宮 [圓]光[院]
【右面】第十一番 天滿宮
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神明神社[3]末社 天満宮[4] | ||||
24 |
【左面】[文政]■■■
【右面】筑紫■■■
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錦天満宮 |
[1] | 文政4年(1821)の銘があるため、伏見義民のひとり伏見屋清左衛門(?-1787)とは別人のようです。 |
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[2] | 明治35年(1902)、北野天満宮千年祭に際して吉見資胤氏が北野天神縁起を複製作成されました。石碑建立も北野天満宮千年祭と関係がありそうに思います。 |
[3] | 明治維新の神仏分離まで、神明神社は護国山立願寺円光院という天台宗の寺院でした。 |
[4] | 正徳5年(1715)刊の『都すゞめ案内者』では、神明社内の立願寺天神が十一番です。
また、「山州名跡志(巻之二十二)」❐の中に以下の記述があり、現在の末社5社がこれらに相当するとみられます。 「神明宮 在二綾小路高倉西北方一 ・・・ 攝社 石~社 稲荷社 天神宮 辨天社 荒神社 在二本宮東一自レ北至レ南」 一方、神明神社に合祀されている文子天満宮は、第二次大戦後、近くの豊園小学校(現・洛央小学校)内から遷されたものです。 以上のことから、いしぶみの天満宮は合祀された文子天満宮ではなく、末社のうちの一つと考えています。 |
更新日:2017/12/06