陽泉亭 |
大乗妙典塔と日向地蔵尊を建立した陽泉亭松村徳翁とはどんな人物だったのでしょうか?
残念ながら詳しいことはわかりませんが、「都林泉名勝図会(巻之五)」にそれらしき名前が記されています。 「吉祥院村中[1] 陽泉亭 林泉主人松翁造る」
都林泉名勝図会の刊行が寛政11年(1799)なので、当然のことながら林泉(=木立や池泉などのある庭園)の「陽泉亭」の造営はそれ以前。 一方、大乗妙典塔の建立は安政5年(1858)。 両者の建造年代に約60年の開きがあり、同一人物によるものとみるのは無理がありますが、少なくとも林泉主人松翁の子孫が大乗妙典塔を建てた陽泉亭松村徳翁だろうと考えています。
国際日本文化研究センター所蔵 『都林泉名勝図会❐(部分)』
また、大正4年(1915)に発行された「京都府紀伊郡誌」P69には、吉祥院小学校の創設当時の名前が陽泉亭だったことが記されています。
吉祥院尋常高等小學校 (吉祥院村大字吉祥野)
明治五年十月十七日、吉祥院堂小字舟戸に創設し、校名を陽泉亭と云ふ、
十年四月字西中は吉祥院聯合〔吉祥院、西中、石島〕より分離す
〔校名陽泉亭は明治九年に廢せられ無名なりしがこの年吉祥院小學校と名[2]けられたり〕
一方、現在の吉祥院小学校には昭和42年卒業生による創立120周年記念植樹の石碑が建っています。 逆算すると京都府紀伊郡誌の記録より25年早い1847年創立ということになり、これは小学校の付近にあった寺子屋「陽泉亭」の創立年と考えています。[3] 大乗妙典塔建立の11年前のことですから、徳翁居士本人が寺子屋で子供たちを教えていたとしても不思議ではありません。
日本の未来を担う子供たちの教育に力を注いでいた徳翁居士が、幕末の不穏な世情を憂いて世のため子供たちのために建立した大乗妙典塔と日向地蔵尊。 私たちは徳翁居士の思いを深く受け止め、大乗妙典塔と日向地蔵尊を子々孫々大切に守り続けたいを思っています。
[1] | 旧吉祥院村のどのあたりにあったのか正確な場所は不明です。 白幡洋三郎監修の「都林泉名勝図会(下)」P238には「ここがどこか特定できないが、池田町、御池町などの地名が残る旧吉祥院村の閑寂な遊園だろう」と記されていますが、御池町は吉祥院天満宮の御池(みいけ)が由来であり、私(管理人)は大乗妙典塔に近い池ノ内町付近を考えています。 |
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[2] | 原文は「召」ですが、正誤表で「名」に訂正されています。 |
[3] | 記念植樹の石碑を建てた当時の関係者を探しましたが、残念ながら新たな情報は得られませんでした。 『京都市立吉祥院小学校百周年記念誌』には、1)小学校の創立前には付近に寺子屋があった、2)分校として創立された当初は吉祥院校と公称されかった、ことが記されており、かつて小学校の付近にあった寺子屋の名前が「陽泉亭」だったと推測しています。 |
更新日:2018/07/22