日向地蔵尊縁起と記録 | (現代語訳) |
|由緒| |
由緒
人々は昔から、日向地蔵尊と呼び、大切にして安産を祈ったり、悪い病気や災いがなくなるように願ってお参りする人が後を絶ちませんでした。
明治12・13年頃、仏教を排斥して、寺などを壊してしまおうという悪い風潮が広がりました。
その時の槙村知事は、「石仏狩り」という悪い法令を作り、仏様を没収しようとしました。
このお地蔵さまも、持っていかれようとしました。
村の信者たちは、驚いて、すぐに、お地蔵さまが持っていかれないようにかくしました。
何年かたって、そんな風潮もなくなったので、もとの場所に、また、まつることになりました。
その後、50年余り経って、この地域で、小石に墨で護字の書かれているものが一つ見つかりました。
さらに、18リットル缶数杯[1]分の小石に、一つ一つ、経文字の書いてあるのが見つかりました。
お年寄りの話を聞いて、前の悪い法令の時にバラバラになってなくなっていた「一字一石大乗妙典塔」を探し出しました。
塔のあったところには、相当の石品を贈りました。
今は、この塔もここに還ってきました。
それで信者やお地蔵さんを大事に思う人々が集まり、地蔵堂を修理し「大乗妙典塔」の下に一つの石に一文字づつ書かれた一字一石の「経文礫」を埋め、まわりに垣を作りました。
石の階段をつくり、木も植えて、清らかでけがれのない場所としました。
この行いは、塔の後ろに書かれた「安政五年十月建立 陽泉亭松村徳翁居士書写 功徳の信意」の言葉の意味にもかなっています。
これは、全く(ただただ)名をつらねた信者の人たちの熱く誠の心があったからこそできたことです。
お地蔵さまは、永くこの信者たちを守ってくれています。
大乗妙典とは、このよい行いも蓮の花とともに地上にあらわれ広まっていくであろうということを、意味しています。
法末 善弘記
昭和四年十月十日
[1] | 地蔵堂前の由緒碑の現代語訳には「数個」と書かれていますが、原文の「数斗」に従い「18リットル缶数杯分」に修正しました。 |
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更新日:2022/02/09