吉祥院六斎 保存活動 |
吉祥院六斎は、始まりが平安時代後期とも山崎の合戦の時とも伝えられ、天満宮の獅子舞奉納と盂蘭盆の戦死者の弔いとが結合して、娯楽性豊かな盆の行事として発展してきました。
明治時代には吉祥院に8つ(北条、南条、東条、西条、新田、石原、島、中川原)の六斎組があり、吉祥院天満宮だけでなく市内有名寺院への奉納や盆行事への勧進も行われ、盛況を呈していました。
第二次世界大戦中は徴兵による人手不足で活動が中断していましたが、戦後になると再び活況を取り戻します。 特に昭和28年(1953)から同30年(1955)にかけて京都市の円山公園公会堂において開催された「六斎念仏コンクール」では、吉祥院六斎が3年連続の優勝を果たし、地方公演やテレビ出演も行なうようになりました。
しかし、娯楽の多様化や吉祥院の市街地化が進むにつれて人々は六斎から離れ、他の伝統芸能と同様に衰退へ向かいます。 8つあった六斎組は次々と姿を消していき、昭和40年代には菅原組(旧・南条)ただ1つになりました。 昭和58年(1983)に国の重要無形民俗文化財に指定されましたが、保存会メンバーの高齢化と担い手不足の流れは変わらず、ついには存続が危ぶまれる状況にまで至ります。
こうしたなか、地域の小中学校の教職員を含め多くの関係者の懸命の努力の結果、ようやく最悪の状態だけは脱しましたが、まだまだ安心はできません。
1980(昭和55)年 | 「吉祥院六斎保存会」発足 |
1995(平成7)年 | 「吉祥院子ども六斎会」発足 |
2010(平成22)年 | 「吉祥院六斎歴史研究会獅子の如く」発足 |
会報「獅子の如く」創刊 | |
「吉祥院六斎担い手育成基金」設立 | |
2013(平成25)年 | 「六斎寺子屋」開校 |
伝統を大切にし、守り伝える。
吉祥院六斎には過去に暗い出来事もありました。 そうしたことも含めて、吉祥院六斎の歴史と保存活動をできるだけ多くの方に知ってもらい、六斎の担い手や支援者を増やしたいと思っています。
石田房一氏らによって設立された吉祥院六斎歴史研究会獅子の如くは、六斎の歴史調査研究を通じた地域伝統芸能の継承・発展と地域の活性化を目的として、以下の活動を行っています。
(「獅子の如く創刊号:伝統芸能を通した地域教育」参照)
子ども六斎会や獅子の如くの活動に興味をお持ちの方は、以下へご連絡ください。
NPO法人ふれあい吉祥院ネットワーク 六斎活性化推進事業事務局
E-mail: npofkn@ray.ocn.ne.jp
Tel: 075-691-7561
子ども六斎会の練習風景や吉祥院天満宮大祭の様子などがご覧いただけます。
吉祥院六斎の歴史資料が、吉祥院いきいき市民活動センター❐(南区吉祥院砂ノ町47番地)で常設展示されています。 見学無料ですので、ぜひお立ち寄りください。
更新日:2024/10/04