最初の天満宮

 生誕地とともに、日本最初の天満宮を自称するところも複数あります。 以下にそんな天満宮をまとめてみました。

天満宮創建年由緒
防府天満宮 houfu 延喜4年(904) 道真が亡くなると神光が現れ酒垂山に瑞雲が棚引いた。そこに国司土師信貞が社殿を建立。
水火天満宮 suika 延長元年(923) 醍醐天皇の勅許で神号を賜り、延暦寺の尊意僧正が道真公の神霊を勧請。
吉祥院天満宮 kisshouin 承平4年(934) 朱雀天皇の勅命で生誕地に創建。
文子天満宮 ayako 天慶5年(942)?[1] 天神となった道真の託宣で、乳母多治比文子が形見の神像を祀る。

 並べてみると面白いですね。 失礼な言い方ですが、「△△調べ△△部門売上げ第1位」の商品広告みたいで。 簡単に書くと次のようになりそうです。

防府天満宮
 道真の死後、地方役人が建立した天満宮の最初。

水火天満宮
 天皇公認の天満宮の最初。

吉祥院天満宮
 天皇の勅命で創建された天満宮の最初。

文子天満宮
 個人が信仰の対象として祀った天満宮の最初。

 なお、全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社として知られる北野天満宮は、神託により天暦元年(947)に創建されました。 その後、永延元年(987)に一條天皇から「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、国家国民を守護する神「天神さま」として崇められてきました。

水火天満宮
吉祥院天満宮
文子天満宮

[1]創建年を「延喜元年(901)」と書いていましたが、「天慶5年(942)?」に訂正します。 申し訳ありませんでした。
文子天満宮のちらしやHP情報によれば、道真が自刻の神像を形見として多治比文子に授与したのが延喜元年(901)で、文子が庭前の小祠に神像を祀ったのは託宣を受けた天慶5年(942)以降のようです。 一方、『京都市姓氏歴史人物大辞典』には、天慶3年(940)に託宣を受けて祀ったとあります。

更新日:2024/02/01