吉祥天女社(吉祥院) 本尊 吉祥天女

 延喜二十三年(八〇四)菅原道真公の祖父清公卿が遣唐使として唐へ向かう途中、海上にわかに暴風起り船が転覆しかけた時、同船していた僧最澄と共に吉祥天女に平安を祈ったところ、天女たちまち空中に現われ風雨静まって無事使節の任を果たした。 この感激と喜びを胸に帰朝後吉祥天女の尊像を自ら刻まれ、大同三年(八〇八)庭上に一堂を建立して安置し、伝教大師にはかって開眼供養が行なわれた。 ここを吉祥院と号して国家鎮護の祈願所・菅家守護の本尊とされた。

 この吉祥院において清公卿は毎年十月に吉祥院悔過を修せられ、是善卿は清公卿の命日の十月十七日に毎年修せられた。 道真公は元慶五年(八八一)十月に是善卿の一周忌追福のため、多くの僧侶を招いて法華八講が行なわれた。 また、寛平六年(八九四)九月には菅公の門徒の人たちがここに集まって道真公五十歳の賀の宴が修せられた。

 応仁の乱により京中が戦火に遭い建物が悉く焼かれる状況の中、吉祥天尊像の焼失を恐れて土中に埋め、新たに仮の天女像を刻み本堂に安置し開眼供養を修した。 世の中鎮静とともに本尊を掘り出しもと通り安置したが、いまも土の香が残っているようである。

 吉祥院の建物は幾度となく焼失し、その度に浄財を集めて再建をおこない、現在の吉祥天女社は嘉永三年(一八五〇)に再建された。

 近年では明治三十五年と昭和三年に大修理を行なうとともに、昭和の初めから昭和三十年頃にかけては、大般若経六〇〇巻の転読法会が催された。

 創建の歴史は天満宮より百二十年余も古く、平成二十年(二〇〇八)には創建千二百年祭を斎行した。 また五十五年ぶりに大般若経六百巻転読を奉修し、吉祥天女像の特別開帳を行なった。 記念事業として吉祥天女社の大改修工事を地元をはじめ多くの人々の支援を得て行なった。

出所:『吉祥天女特別御開帳のしおり』パンフレット


 普段は吉祥天女堂内に入れないのですが、2008年10月の特別開帳で堂内に入り尊像を拝観させていただきました。

●堂内の尊像 (『吉祥天女特別御開帳のしおり』のスキャナ画像)


●散華

更新日:2017/07/04