吉祥院天滿宮詳細錄 第十章 p413 - 417
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(一〇)一千廿五年祭奉使として村長の祝詞

一、初日四月廿四日
掛卷吉祥院天滿宮御社御前村長塚繁治郞美母左久二十五年每一度仕奉大祭幾度重來志氏[1]去年一千二十五年大祭禮留賀大御諒闇志乎一歲延邊氐 今年今日初日大祭此鄕人等大神御神德眞心込米氐準備業怠事無仕奉此紀伊郡吉祥院村與里献奉宇豆介久介久聞食 天皇命大朝庭米氐天下國民彌廣守護給幸福又此吉祥院村人民爾毛爾毛猧事不令有彌米爾令治美母

二、中日 四月廿五日
久母[2]吉祥院天滿宮御社大前村長塚繁治郞美母左久 今日波志毛一千二十五年大御祭中日大祭京都府紀伊郡吉祥院村與里献奉宇豆介久介久聞食志氏[1]天皇命大朝庭米天國民彌高五十橿八桑枝立榮衣志米又此吉祥院村人民爾毛爾母八十猧津日猧事有志米須產業業繁介久精神直志久美母

三、了日 同廿六日
此鄕乎宇志波伎[3]久母吉祥院天滿宮御社大前村長塜繁治郞美母左久 今日波志毛一千二十五年大御祭京都府紀伊郡吉祥院村與里献奉此神奈備大神等相甞聞食志天天下爾波五糓能天皇命大御代湯津磐村常盤堅盤榮座可又此鄕人民大神御德彌廣利氐業事志久志氏[1]不成事克志米美母

(一一)一千二十五年祭々文

○初日四月二十四日の祭文
謹んで惟るに大神の神去り給ひしより茲に千二十有五年其の神德を慕ひ奉り本日より三日間淸典を行ひ大神の靈を慰め奉らんとす、 盖し吾等村民の歷世此に奉仕し神明の擁護を𫎇ることに茲千百餘年祖卿後三世幷に菅御在世の御德及神德の高なること應に天壤と共に究りなし。 伏して願くば吾等爾今稱々益々信の念を深くし奉仕の誠を盡くし以て神恩に酬ひ奉らんことを神威を冒讀し謹んで祭詞奉ヲぶ神靈尙くば饗けよ。
昭和三年四月二十四日
吉祥院天滿宮千二十五年祭 幹事 勳八等功七級 深見德次郞謹白

○中日四月廿五日の祭文
恭しく惟るに吾が吉祥院天滿宮は儒林より出でて至誠純忠王者の師となり文字の祖として崇せられ給ふ茲に氏子等相集り神德を慕すると共に併せて各自の云爲行動を愼戒せんが爲め神饌をし千二十五年の祭典を行ひあらたかなる神德を拜し永久に我等を愛護し給はんことを祈願し奉る神靈冀くは來り亨けよ。
昭和三年四月二十五日
吉祥院天滿宮千二十五年祭 幹事 安田英之助敬白

○結日四月廿六日の祭文
謹而茲に菅一千二十五年祭典を奉司し典儀を擧ぐること三日間在天の靈を慰むる足らすと雖亦吾等村民覆戴の神德を光掦[4]し涓埃に報ぜんとするの微衷を饗けさせられ、 神靈髣髴として降り亨[5]け玉はらんことを尙ふ今や祭期本日を以て盡き將に祭儀を撤せんとするに當り時差のを具へ謹而終吿の詞を奉る。
昭和三年四月二十六日
吉祥院天滿宮一千二十五年祭 幹事 勳八等 檜垣與三郞

[1]正しくは「氐」ですが、原文通り表記します。
[2]原文では「麻久母」が通常の文字サイズで書かれていますが、万葉仮名部分と判断しました。
[3]原文では「宇志波伎」が通常の文字サイズで書かれていますが、万葉仮名部分と判断しました。
[4]「揚」の誤記なのか正しいのか判断できません。原文通り「掦」と表記します。
[5]「享」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。

更新日:2021/02/14