吉祥院の神社(明治時代)

 明治14〜17年(1881-1884)に作成された『京都府地誌』の紀伊郡村誌には、吉祥院(旧・西中村、吉祥院村、石嶋村)の神社5社と御旅所1か所が記録されています。

 吉祥院村字一ノ段(現・吉祥院新田壱ノ段町)の松尾社は、現在の吉祥院三ノ宮西町にある松尾神社と関連付けられそうですが、「明治十一年十二月廃撤ス」と書かれているので別物としました。

紀伊郡村誌 (出典:『史料京都の歴史13 南区』)現在
神社説明
西中村 松尾神社 本村ノ中央ニアリ。除地、東西十七間、南北二間七分余、面積四十六坪。大山咋命ヲ祭リ、品陀和気命、市杵嶋媛命ヲ配ス。祭日四月三日。下同。勧請年月分明ナラス。下同。 松尾神社
(中河原)
同社 村ノ北ニアリ。税地。東西十一間、南北七間、面積七十七坪。大山咋命ヲ祀ル。配神一坐不詳。 松尾神社
(西ノ庄)
吉祥院村 天満宮社 村社ニ列ス。本村東部ニアリ。天神川ニ臨ム。境内除地。東西五十間五分、南北十四間一分、面積七百十二坪。菅原道真ヲ祭ル。祭日九月十三日。勧請年月不詳。域内老樹多シ。祠廟ヲ囲ム。相伝フ、本境ハ菅原氏累世ノ別業址ト。 吉祥院天満宮
松尾社 字一ノ段ニアリ。社地除税。松尾神ヲ祭ル。勧請ノ年紀詳ナラス。明治十一年十二月廃撤ス。 なし
石嶋村 松尾神社 本村東端ニ在。社域除税。東西二十二間三分、南北六間壱分五厘、面積百三十七坪。祭神祭日共ニ松尾神社ニ同シ。或云、猿田彦命ヲ祀ルト。創立年月不詳。 石原松尾神社
旅所壱区村ノ南方ニアリ。除地ニ属ス。其面積七十壱坪。 嶋松尾神社

 ここからまたまた私(管理人)の大胆な仮説です。

 吉祥院村字一ノ段の松尾社が明治11年(1878)に廃撤されたのは、明治7年(1874)に新田村が吉祥院村に合併されたことが理由だろうと考えています。 つまり、合併後の村内で吉祥院天満宮と祭神の異なる松尾社は存続が難しく、廃社に追い込まれたのでしょう。

 ところが、明治22年(1889)に西中村と石嶋村が吉祥院村に合併した際は、大字として独立性が保たれたことに加えて、住民の意思や松尾大社の影響力が強くて、松尾神社4社の廃社に至らなかった。 すると今度は逆に松尾神社系が勢いを増して、旧・新田村、現在の吉祥院三ノ宮西町に再び松尾神社をお祀りすることになった。

 自分では確度の高い仮説と思っているのですが、関連する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ情報提供をお願いします。

更新日:2018/11/18