東山三十六峰

 東山三十六峰(ひがしやまさんじゅうろっぽう)は、京都盆地の東に位置し、北は比叡山から南は稲荷山まで、南北12kmにわたって連なる山々の総称です。

 ただし、「花洛名勝図会(東山之部一)」の東山の項に「古くより東山三十六峰ありと云へ共 何(いつ)れの峯々を指して其數(そのかす)に宛たるか詳(つまひらか)ならず」とあるように、具体的にどの山々を指すのか明確ではありません。

 近代以降、「三十六峰」を具体的に特定しようという試みが度々行われ、現在では昭和31年(1956)に京都新聞に連載された『東山三十六峰 −京都案内記−』が主流になっています。 異説もありますが、以下に『東山三十六峰 −京都案内記−』の内容を紹介します。


出所:『東山三十六峰 −京都案内記−』

# 山名 読み方 標高[1] 関連寺社、他
1 比叡山 ひえいざん 848m 延暦寺
2 御生山 みあれやま 200m 御蔭神社
3 赤山 せきざん 140m 赤山禅院
4 修学院山 しゅうがくいんやま (340m) 修学院離宮、林丘寺曼殊院
5 葉山 はやま (180m) 葉山観音堂
6 一乗寺山 いちじょうじやま (272m) 一乗寺(廃寺)、金福寺詩仙堂
7 茶山 ちゃやま 約130m 茶屋四郎次郎情延の別荘に由来、瓜生山の西山麓
8 瓜生山 うりゅうさん 294m
[301m]
元勝軍地蔵[2]狸谷山不動院
9 北白川山 きたしらかわやま 130m 元勝軍地蔵[2]
10 月待山 つきまちやま (194m) 慈照寺
11 如意ヶ岳 にょいがたけ 466m
[472m]
如意寺旧跡、大文字山はこの支峰
12 吉田山 よしだやま 約100m
[121m]
吉田神社
13 紫雲山 しうんざん (96m) 金戒光明寺真如堂
14 善気山 ぜんきざん [271m] 法然院
15 椿ヶ峰 つばきがみね 約340m 大豊神社
16 若王子山 にゃくおうじやま (183m) 若王子神社、南禅寺山の北半分
17 南禅寺山 なんぜんじやま (197m) 南禅寺
18 大日山 だいにちやま 320m
[326m]
観勝寺真性院(廃寺)大日堂
19 神明山 しんめいやま [218m] 日向大神宮
20 粟田山 あわたやま 527m
(約150m)[3]
粟田神社
21 華頂山 かちょうざん (約190m)[4] 知恩院
22 円山 まるやま (98m) 安養寺八坂神社、長楽寺山の中腹
23 長楽寺山 ちょうらくじやま 230m[5] 長楽寺
24 双林寺山 そうりんじやま (72m) 双林寺、双林寺から西の狭い丘
25 東大谷山 ひがしおおたにやま (約90m)[6] 東本願寺本廟
26 高台寺山 こうだいじやま (約80m)[7] 高台寺、霊鷲山山麓の一部
27 霊山 りょうぜん (176m) 正法寺護国神社
28 鳥辺山 とりべやま (84m) 西本願寺大谷本廟、本寿寺、実報寺
29 清水山 きよみずやま [242m] 清水寺
30 清閑寺山 せいかんじやま (202m) 清閑寺、清水山山麓の一部
31 阿弥陀ヶ峰 あみだがみね 193m
[196m]
阿弥陀堂(廃絶)、豊国廟
32 今熊野山 いまくまのやま (187m) 新熊野神社
33 泉山 せんざん (164m) 泉涌寺
34 恵日山 えにちさん (91m)[8] 東福寺
35 光明峰 こうみょうほう (約70m)[9] 光明峰寺(廃寺)
36 稲荷山 いなりやま 約232m
[233m]
伏見稲荷大社
[1]括弧なしは京都案内記に書かれている標高。[ ]付は国土地理院の地図に記載されている標高。( )付は管理人の推定値。
[2]左京区一乗寺松原町の瓜生山頂にあった勝軍地蔵は、宝暦12年(1762)に左京区北白川山ノ元町(バプテスト病院西の山上)へ移され、さらに近年、左京区北白川上終町の禅法寺境内へ移されました。
[3]説明文(西の道は青蓮院裏または粟田神社へ、北の道は都ホテル西側へ、南の道は将軍塚へ)から、標高150m付近の尾根と推定しました。原文の「標高五百二十七メートル」は「標高百二十七メートル」の誤植か?
[4]説明文(四条通の東端、南に円山、北は粟田、西に知恩院)から、標高190m付近の尾根と推定しました。将軍塚の塚のある頂(216m)または東山山頂公園(230m)とする説もあります。
[5]長楽寺山=将軍塚(東山山頂公園:標高230m)となっていますが、現在一般には将軍塚=華頂山と呼ばれており、長楽寺山に別の山を充てる説もあります。
[6]親鸞聖人の祖墳(そふん)の場所が山上と説明されているため、祖墳のある標高90m程度の丘と推定しました。背後の山(184m)とする説もあります。
[7]説明文(霊鷲山山麓の一部、高台、小さな丘)から、高台寺がある標高70〜80mの丘を指すと推定しました。将軍塚近くの山頂(200m)とする説もあります。
[8]説明文(東福寺三門から東へ、ボゥボゥ笹の間のだらだら坂100m、鳥羽・伏見の戦で死んだ長州藩士48人の墓標)から、仲恭天皇陵のある小山(91m)と推定しました。即宗院の裏の台地(70m)やこれらの東にある山頂(192m)とする説もあります。
[9]説明文(伏見稲荷のかえり坂、東福寺の東、泉涌寺の南、峰の頂に道家の墓)から、九条家累代の墳墓がある最勝金剛院の東の峰(約70m)と推定しました。そこから川を越えて東にある本多山(125m)とする説もあります。

更新日:2016/06/19