三蹟

 三蹟(さんせき)/三跡とは、平安中期10世紀頃に活躍した書道の大御所3人のことです。 最初は三賢と呼ばれていました。 入木道(じゅぼくどう)の三蹟とも言います。

 三筆が各時代にいるのに対して三蹟は平安時代の3人だけをいい、彼らの書が後世まで大きな影響を与えたことから、特別に三蹟と呼ばれています。

三蹟 読み 生没年 有職読み[1] 書跡
小野 道風 おの の みちかぜ 894-967 トウフウ 野跡(やせき)
藤原 佐理 ふじわら の すけまさ 944-998 サリ 佐跡(させき)
藤原 行成 ふじわら の ゆきなり 972-1028 コウゼイ 権跡(ごんせき)
[1]有職読み(ゆうそくよみ)とは、漢字で書かれた語を伝統的かつ特別な読み方で読むことで、歌人などの人名が伝統的に音読みされることもこれに含まれます。

三筆

 三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上で最も優れた3人の能書家のことですが、三蹟と違って時代ごとに三筆が存在します。

● 三筆
単に三筆と言う場合は、よく知られたこの3人を指します。時代的には、三蹟より少し前の平安時代初期です。
三筆 読み 生没年 備考
空海
(弘法大師)
くうかい 774-835 真言宗の開祖
嵯峨天皇 さがてんのう 786-842 第52代天皇
橘 逸勢 たちばな の はやなり 782(?)-842 平安時代初期の貴族・書家

● 世尊寺流の三筆
世尊寺流は和様書道において最も根幹的な役目を果たした流派で、後の法性寺流、持明院流、御家流を生みました。
三筆 読み 生没年 備考
藤原 行成 ふじわら の ゆきなり 972-1028 1世尊寺家初代当主
世尊寺 行能 せそんじ ゆきよし 1179-1255 8世尊寺家第8代当主
世尊寺 行尹 せそんじ ゆきただ 1286-1350 12世尊寺家第12代当主

● 寛永の三筆
平安時代の三筆と区別して、初めは「京都の三筆」「平安(=京都)の三筆」「洛下の三筆」などと呼ばれました。 あるいは「後の三筆」「近世の三筆」「慶長の三筆」とも呼ばれたようです。 寛永の三筆によって、安土桃山時代・江戸時代前期の書は和様を中心に復興しました。
三筆 読み 生没年 備考
本阿弥 光悦 ほんあみ こうえつ 1558-1637 光悦流の祖
近衛 信尹 このえ のぶただ 1565-1614 近衛流(または三藐院流)の祖
松花堂 昭乗 しょうかどう しょうじょう 1582-1639 松花堂流(または滝本流)の祖

● 黄檗の三筆
黄檗の三筆は黄檗僧の中で特に能書の3人で、その中国書法が儒者たちの間で一世を風靡し、唐様ブームが巻き起こりました。
三筆 読み 生没年 備考
隠元 隆g いんげん りゅうき 1592-1673 日本黄檗宗の祖
木庵 性瑫 もくあん しょうとう 1611-1684
即非 如一 そくひ にょいつ 1616-1671

● 幕末の三筆
江戸時代の終わりから書を職業とする専門家、いわゆる書家が登場しました。幕末の三筆はこれら多くの書家に唐様の影響を与えました。
三筆 読み 生没年 備考
市河 米庵 いちかわ べいあん 1779-1858
巻 菱湖 まき りょうこ 1777-1843
貫名 菘翁 ぬきな すうおう 1778-1863

● 明治の三筆
清国の楊守敬が漢魏六朝の碑帖を携えて来日したことを契機に六朝書道が盛んとなり、明治の三筆がこの六朝書道を牽引しました。
三筆 読み 生没年 備考
日下部 鳴鶴 くさかべ めいかく 1838-1922
中林 梧竹 なかばやし ごちく 1827-1913
巌谷 一六 いわや いちろく 1834-1905

更新日:2021/02/23