北野七保 |
北野七保(きたのしちほ)は、菅原道真が太宰府で薨じた後、随従の人々が帰京して右京の地に建てたと言われている7か所の御供所(ごくうしょ/ごくしょ)です。 古くは西京七保とも呼ばれました。
一ノ保は菅原道真を最初に祀った地と伝えられ、その後一条から二条にかけて6か所の御供所が設けられて七保になりました。
七保には神仏習合によってそれぞれ神宮寺が建てられ、保の住人は神人(じにん)として北野社に奉仕して諸種の神事にあたりました。
七保 | 神宮寺 | 所在地 | 変遷 |
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1一ノ保社 安楽寺天満宮 別 |
安楽寺 | 上京区御前通西裏上ノ下立売上る北町 | 延喜5年(905)筑紫から菅原道真の霊を迎えて祀り安楽寺天満宮を創始 明治6年(1873)北野天満宮境内に移ったが、その後再び当地に分祀 |
2二ノ保社 | 東光寺 | 上京区上ノ下立売通天神道西入堀川町 | 文政9年(1826)北野社へ移転、合祀 |
3三ノ保社 | 長宝寺 | 上京区一条通紙屋川東入西町 | 明治6年(1873)北野社境内へ移転 |
4四ノ保社 | 新長谷寺 | 中京区西ノ京中保町 | 元文5年(1740)廃社 四之保社跡・威徳水が残されていたが、2017〜18年頃埋められた |
5五ノ保社 | 満願寺 | 上京区天神道下立売上る行衛町 | 元禄15年(1702)日蓮宗に売却、翌年洛東岡崎に移転 |
6六ノ保社 | 阿弥陀寺 | 上京区天神道下立売下る行衛町 | 寛保3年(1743)真言宗に売却、殊尊院と改称したが明治初期に廃寺 |
7七ノ保社 | 成願寺 | 右京区花園艮北町 | 元和2年(1616)日蓮宗に売却、現在本門法華宗の成願寺 |
京都坊目誌 大正4年(1915) | |
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七保ノ社ノ址 | 北野神社神供所。七保は傳て天曆年中の創說(設)と云ふ。皆明治六年七月に廢せられ、祭神を北野に移し末社とす。左記重複せるものあるも順位を示す爲め茲に列擧す。 |
一ノ保ノ社 | 北町にあり。菅神を祭る。安樂寺天神と號す。延喜五年二月九日。筑紫より之に移すと云ふ。又子規天神と呼ぶ。中世社殿に子規の彫刻物を裝置せしより。合とす。今彫刻物は北野神社に藏す。 |
二ノ保ノ社 | 堀河町にあり。文政九年四月廢す。 |
三ノ保ノ社 | 西町にあり。野見宿祢を祀る。菅神の作と云ふ梅樹を以て彫刻せる十一面觀音ノ像を安置す。之を長寳寺と號す。 |
四ノ保ノ社 | 仲ノ保町にあり。今葛野郡に屬す。元文五年三月廢社す。之を新長谷寺と云へり。菅神作の枕箱觀世音を安す。此堂を捨衣堂と稱す。中古此所を以て北野旅所とす。乃ち神輿行在の地也。後世神輿岡を以て旅所とす。康富記に、寳德二年八月一日。北野神輿令レ出二西ノ京御旅所一とあるは之とす。 |
五ノ保ノ社 | 行衞町にあり。滿願寺と號す。元祿十五年岡崎に移す。 |
六ノ保ノ社 | 同町にあり。阿彌陀寺と號す。寬保三年御供所を廢す。 |
七ノ保ノ社 | 葛野郡花園村字辻にあり。菅神を祀る。成願寺と號す。元和二年佛像。寺號。及敷地。一反五畝十六步を日蓮宗に讓る。今の成願寺是也。 |
京都坊目誌 大正4年(1915) | |
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二ノ保社ノ址 | 堀河町北側西部紙屋河の東岸にあり。社地一反五畝二十八分とす。乃ち北野御供所七保(ナヽホ)の内。第二の保たり。… |
一ノ保社ノ址 | 北町西側三番戶にあり。舊北野別當曼殊院宮の支配なり。安樂寺と號し。又安樂寺天神と稱す。世俗子規(ホトヽギス)の天神と呼ぶ。… |
五ノ保ノ社ノ址 | 行衞町西側今稻荷の小祠ある。後背の竹林其址也。北野御供所七保(ナヽホ)の内第五の保たり。〔保は神供所を云ふ〕乃ち菅神を祀り。滿願寺と號す。… |
六ノ保社址 | 行衞町東側南の端にあり。北野御供所七保の内。第六の保たり。阿彌陀寺と號す。… |
三ノ保ノ社址 | 西町北側。北方元北に云く辻子あり。其南西に在りて。紙屋川の東涯也。北野御供所七保(ナヽホ)の内。第三ノ保たり。野見ノ宿禰を祭る。守僧を長寳寺と號す。… |
更新日:2020/07/04