町名 |
単独町名と複合町名
昔の洛中だった京都市内中心部は、近世以来の町界・町名を現代に引き継いでおり、町名は単独町名になっています。 そして住居表示は、区名と町名の間に通り名(「○○通△△上る」など)が入ります。
例) 京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728 → 町名:「因幡堂町」
これに対して、昔の洛外で京都市に編入されるまで村だった地域は、旧村名や旧大字名の「吉祥院」「中堂寺」等を冠称した複合町名になっており[1]、通り名はありません。
例) 京都市南区吉祥院政所町3 → 町名:「吉祥院政所町」
同一町名
複合町名のエリアは冠称によって区別されるため同一町名は存在しません[2]が、昔ながらの町名がそのまま単独町名として残っている市内中心部は、同一町名が多数存在します。 例えば、亀屋町は中京区内だけで5ヶ所、中京区と上京区を合わせると計9ヶ所もあります。
上京区 | 4ヶ所:亀屋町、仲之町 3ヶ所:一町目、突抜町、西町、東町、毘沙門町、桝屋町、四町目 |
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中京区 | 5ヶ所:亀屋町 4ヶ所:大文字町、中之町、桝屋町 3ヶ所:梅屋町、鍛冶屋町、菊屋町、大黒町、俵屋町、壺屋町、丸屋町 |
下京区 | 4ヶ所:鍵屋町 3ヶ所:稲荷町、上之町、上柳町、材木町、堺町、塩屋町、住吉町、大黒町、橘町、富永町、丸屋町、八百屋町、若宮町 |
東山区 | 3ヶ所:中之町 |
こんな時に通り名が大変有効です。
△△通○○東入 | →(東西の)△△通り沿いで(南北の)○○通り交差点の東 |
△△通○○西入 | →(東西の)△△通り沿いで(南北の)○○通り交差点の西 |
○○通△△下る | →(南北の)○○通り沿いで(東西の)△△通り交差点の南 |
○○通△△上る | →(南北の)○○通り沿いで(東西の)△△通り交差点の北 |
例えば、因幡堂町の平等寺(因幡薬師)は
松原通烏丸東入 → 松原通に沿って烏丸通の交差点を東へ進んだ所
にあり、通り名の基本ルールさえ理解していれば、町名を気にしなくても簡単・正確に目的地にたどり着くことができます。
社寺由来の町名
近世以来の町界・町名を現代に引き継いでいる京都市内には、当然のことながら寺院名を含む町名がたくさんあります。 「京都坊目誌」で社寺に関係する町名の由来を調べたところ、ほぼ次のように分類できました。
1)社寺の門前や周囲に隣接していることから名付けた
2)社寺の移転跡地に町屋が形成され元の社寺名をつけた
3)社寺に関係する人物(開祖など)の名をつけた
4)都市計画で強制移住されられた人々が移住前の元の町名をつけた
社寺の移転理由としては、宝永5年(1708)の大火など災害の場合もありますが、圧倒的に多いのは豊臣秀吉が天正年間(1573-1592)に行った寺町形成でした。
社寺を移転させ、新たな町割りの道を造り、現在の京都の街並みの基礎を造ったのは間違いなく豊臣秀吉です。
[1] | 複合町名の地域でありながら単独町名になっている例外もあります。 |
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[2] | 複合町名の中にも紛らわしい町名はあります。 例えば「吉祥院長田町」と「吉祥院石原長田町」が600mほどの距離のところにあります。 |
更新日:2015/07/04