社寺町名 (東山区)

ZIP、区 町名 由来社寺 社寺所在時期[1]
605-0000
東山区
いまぐまの ひでんいんやまちょう 今熊野いまぐまの 悲田院山町ひでんいんやまちょう ひでんいん 悲田院ひでんいん 正保3年(1646)
〜現在
605-0021
東山区
せきせんいんちょう 石泉院町せきせんいんちょう せきせんいん 石泉院せきせんいん[廃] 文永(1264-74)
〜応仁元年(1467)
605-0031
東山区
じょうほうじちょう 定法寺町じょうほうじちょう じょうほうじ 定法寺じょうほうじ[廃]
〜応仁元年(1467)
605-0033
東山区
えびすちょう 夷町えびすちょう えびす 蛭子えびすノ社[廃]
〜正保4年(1647)
605-0043
東山区
にしこものざちょう 西小物座町にしこものざちょう ほうこうじ 宝皇寺ほうこうじ[廃] 弥陀像[2] 建武(1334-36)
605-0044
東山区
ひがしこものざちょう 東小物座町ひがしこものざちょう ほうこうじ 宝皇寺ほうこうじ[廃] 弥陀像[2] 建武(1334-36)
605-0061
東山区
うめみやちょう 梅宮町うめみやちょう うめのみや 梅ノ宮うめのみやの祠
〜慶安元年(1648)
605-0062
東山区
りんかちょう 林下町りんかちょう ちおんいん 知恩院ちおんいん 松並木の下 承安5年(1175)
〜現在
605-0073
東山区
ぎおんまちみきたがわ 祇園町北側ぎおんまちみきたがわ やさかじんじゃ(ぎおんしゃ) 八坂神社やさかじんじゃ祇園社ぎおんしゃ 斉明天皇2年(656)
〜現在
605-0074
東山区
ぎおんまちみなみがわ 祇園町南側ぎおんまちみなみがわ やさかじんじゃ(ぎおんしゃ) 八坂神社やさかじんじゃ祇園社ぎおんしゃ 斉明天皇2年(656)
〜現在
605-0086
東山区
べんざいてんちょう 弁財天町べんざいてんちょう べんざいてん 弁財天べんざいてん社[廃][3]
〜寛永10年(1633)
605-0812
東山区
びしゃもんちょう 毘沙門町びしゃもんちょう れんげこういん 蓮華光院れんげこういん[廃] 本尊毘沙門天 元禄8年(1695)
〜明治6年(1873)
605-0814
東山区
やくしちょう 薬師町やくしちょう じょうとうじ 城東寺じょうとうじ[廃] 薬師堂
〜明治6年(1873)
605-0816
東山区
にしごもんちょう 西御門町にしごもんちょう じゅうぜんじ 十禅師じゅうぜんじ社[廃]
〜明治維新前
605-0822
東山区
かみべんてんちょう 上弁天町かみべんてんちょう べんてんどう 弁天堂べんてんどう 元禄12年(1699)
〜?
605-0823
東山区
しもべんてんちょう 下弁天町しもべんてんちょう べんてんどう 弁天堂べんてんどう 元禄12年(1699)
〜?
605-0832
東山区
だいこくちょう 大黒町だいこくちょう じゅえんじ 寿延寺じゅえんじ 大黒天堂 明暦(1655-58)
〜現在
605-0844
東山区
たもんちょう 多門町たもんちょう びしゃもんどう 毘沙門堂びしゃもんどう 不詳
605-0855
東山区
たつみちょう 辰巳町たつみちょう けんにんじ 建仁寺けんにんじ 方角:巽(南東) 建仁2年(1202)
〜現在
605-0857
東山区
こうぜんちょう 興善町こうぜんちょう こうぜんじ 興善寺こうぜんじ[廃] 応永21年(1414)
〜応仁元年(1467)
605-0861
東山区
せいかんじ りょうざんちょう 清閑寺せいかんじ 霊山町りょうざんちょう、他6町 せいかんじ 清閑寺せいかんじ 延暦21年(802)
〜現在
605-0862
東山区
きよみず 清水きよみず1〜5丁目 きよみずでら 清水寺きよみずでら 宝亀9年(778)
〜現在
605-0864
東山区
ゆうぎょうまえちょう 遊行前町ゆうぎょうまえちょう ほうこくじ 法国寺ほうこくじ[廃][4] 時宗遊行派 慶長3年(1598)
〜明治40年(1907)
605-0871
東山区
じほういんあんまち 慈法院庵町じほういんあんまち じほういん 慈芳院じほういん 慶長3年(1598)
〜現在
605-0908
東山区
しょうめんちょう 正面町しょうめんちょう ほうこうじ 方広寺ほうこうじ 大仏殿 文禄4年(1595)
〜現在
605-0932
東山区
みょうほういんまえかわちょう 妙法院前側町みょうほういんまえかわちょう みょうほういん 妙法院みょうほういん 天正17年(1548)
〜現在
605-0941
東山区
さんじゅうさんげんどうまわりちょう 三十三間堂廻さんじゅうさんげんどうまわちょう れんげおういん(さんじゅうさんげんどう) 蓮華王院れんげおういん三十三間堂さんじゅうさんげんどう 長寛2年(1164)
〜現在
605-0947
東山区
にしのもんちょう 西之門町にしのもんちょう ほうこうじ 方広寺ほうこうじ 西大門 文禄4年(1595)
〜現在
605-0965
東山区
いまぐまの いけだちょう 今熊野いまぐまの 池田町いけだちょう、他17町 いまくまのじんじゃ 新熊野神社いまくまのじんじゃ 応保2年(1162)
〜現在
605-0965
東山区
いまぐまの いけだちょう 今熊野いまぐまの 池田町いけだちょう [離宮法住寺殿の旧苑池跡]
605-0966
東山区
しもいけだちょう 下池田町しもいけだちょう [離宮法住寺殿の旧苑池跡]
605-0967
東山区
ほんいけだちょう 本池田町ほんいけだちょう [離宮法住寺殿の旧苑池跡]
605-0968
東山区
かみいけだちょう 上池田町かみいけだちょう [離宮法住寺殿の旧苑池跡]
605-0971
東山区
いまぐまの なぎのもりちょう 今熊野いまぐまの 椥ノ森町なぎのもりちょう いまくまのじんじゃ 新熊野神社いまくまのじんじゃ 梛木ノ森 応保2年(1162)
〜現在
605-0972
東山区
いまぐまの つるぎのみやちょう 今熊野いまぐまの 剣宮町つるぎのみやちょう つるぎじんじゃ 剣神社つるぎじんじゃ
〜現在
605-0973
東山区
せんにゅうじ もんぜんちょう 泉涌寺せんにゅうじ 門前町もんぜんちょう、他4町 せんにゅうじ 泉涌寺せんにゅうじ 天長(824-834)
〜現在
605-0976
東山区
せんにゅうじ とうりんちょう 泉涌寺せんにゅうじ 東林町とうりんちょう とうりんじ 東林寺とうりんじ[廃] 正嘉3年(1259)
〜文明2年(1470)
[1]社寺の創建年や移転年は、諸説あって確定していない場合があります。 ここでは代表的な説を記しています。
[2]京都坊目誌(下京第八學區之部)」の西小物座町の項の説明によると、「小物座」は「薦(こも)座」の転訛で、元弘建武の兵乱で東山阿弥陀ヶ峰の宝皇寺が焼亡したとき、郷民が宝皇寺の弥陀像を当地に移して道端に薦を敷いて安置し、通行人に銭を乞い仮堂を営んだことから生じた地名です。
[3]京都坊目誌(下京第十五學區之部)」の辨財天町の項には、「其社元と大和橋の北にあり。寛永十年木像と共に粟田蓮院境内に移す。明治五年に至り廢す。」とありますが、現在、同町内の白川の川端通近くに辨財天が祀られています。
[4]明治40年(1907)、法国寺は時宗六条派本山の歓喜光寺に吸収合併されました。 法国寺の跡地にあった歓喜光寺も、昭和50年(1975)に山科区大宅へ移転しています。

更新日:2022/03/14