社寺町名 (上京区) |
ZIP、区 | 町名 | 由来社寺 | 社寺所在時期[1] | |
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602-0002 上京区 |
けいこういんちょう 継孝院町 | けいこういん 継孝院 | 元 | ? 〜明治35年(1902) |
602-0003 上京区 |
だいしんいんちょう 大心院町 | だいしんいん 大心院 | 元 | 明応元年(1492)頃 〜天正(1573-92) |
602-0004 上京区 |
どうしょうちょう 道正町 | どうしょうあん 道正庵旧跡(木下家) | 現 | 安貞元年(1227) 〜現在 |
602-0005 上京区 |
みょうけんじまえちょう 妙顕寺前町 | みょうけんじ 妙顕寺 | 現 | 天正12年(1584) 〜現在 |
602-0006 上京区 |
ぜんしょういんちょう 禅昌院町 | ほうごんいん(ぜんしょういん) 宝厳院(禅昌院)[2] | 元 | 明応4年(1495)頃 〜中世 |
602-0008 上京区 |
がんすいんちょう 岩栖院町 | がんせいいん 岩栖院[廃?][3] | 元 | 応永33年(1426)頃 〜? |
602-0023 上京区 |
ごしょはちまんちょう 御所八幡町 | はなのごしょはちまんぐう 花御所八幡宮[4] 上御霊神社末社 | 元 | 弘和元年(1381)頃 〜? |
602-0041 上京区 |
なかごりょうずしちょう 中御霊図子町 | なかごりょうじんじゃ 中御霊神社[5][廃] | 元 | 永禄(1558-70)頃 |
602-0043 上京区 |
もとほんまんじちょう 元本満寺町 | ほんまんじ 本満寺 | 元 | 応永17年(1410) 〜天文8年(1539) |
602-0059 上京区 |
じっそういんちょう 実相院町 | じっそういん 実相院 | 元 | ? 〜応永(1394-1428) |
602-0061 上京区 |
ほんぽうじまえちょう 本法寺前町 | ほんぽうじ 本法寺 | 現 | 天正18年(1590) 〜現在 |
602-0062 上京区 |
ほうきょういんひがしまち 宝鏡院東町 | ほうきょうじ 宝鏡寺 | 現 | 応安(1368-75) 〜現在 |
602-0064 上京区 |
あんらくこうじちょう 安楽小路町 | あんらくこういん 安楽光院[廃] | 元 | 天治(1124-26) 〜文明7年(1475) |
602-0074 上京区 |
しもてんじんちょう 下天神町 | すいかてんまんぐう 水火天満宮 | 現 | 延長元年(923) 〜現在 |
602-0081 上京区 |
ずいこういんまえちょう 瑞光院前町 | ずいこういん 瑞光院 | 元 | 慶長18年(1613) 〜昭和37年(1962) |
602-0082 上京区 |
かみてんじんちょう 上天神町 | すいかてんまんぐう 水火天満宮[6] | 現 | 延長元年(923) 〜現在 |
602-0084 上京区 |
わかみやよこちょう 若宮横町 | わかみやじんじゃ 若宮神社[7] | 現 | ? 〜現在 |
602-0085 上京区 |
わかみやたてちょう 若宮竪町 | わかみやじんじゃ 若宮神社 | 現 | ? 〜現在 |
602-0086 上京区 |
ひがしわかみやちょう 東若宮町 | わかみやじんじゃ 若宮神社 | 現 | ? 〜現在 |
602-0087 上京区 |
てんじんきたまち 天神北町 | すいかてんまんぐう 水火天満宮 | 現 | 延長元年(923) 〜現在 |
602-0094 上京区 |
やしろよこちょう 社横町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-0095 上京区 |
やしろつきぬけちょう 社突抜町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-0096 上京区 |
にしわかみやみなみはんちょう 西若宮南半町 | わかみやじんじゃ 若宮神社 | 現 | ? 〜現在 |
602-0097 上京区 |
にしわかみやきたはんちょう 西若宮北半町 | わかみやじんじゃ 若宮神社 | 現 | ? 〜現在 |
602-0098 上京区 |
たてやしろきたはんちょう 竪社北半町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-0099 上京区 |
たてやしろみなみはんちょう 竪社南半町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-0801 上京区 |
こうとくじちょう 高徳寺町 | こうとくじ 高徳寺[不詳][8] | 元 | 不詳 |
602-0803 上京区 |
あみだじまえちょう 阿弥陀寺前町 | あみだじ 阿弥陀寺 | 現 | 天正15年(1587) 〜現在 |
602-0807 上京区 |
ふどうまえちょう 不動前町 | ちょうふくじ 長福寺[廃] | 元 | 天正(1573-92) 〜明治維新 |
602-0808 上京区 |
かんきじまえちょう 歓喜寺前町 | だいかんきじ 大歓喜寺 | 現 | 天正(1573-92) 〜現在 |
602-0811 上京区 |
じゅうねんじまえちょう 十念寺前町 | じゅうねんじ 十念寺 | 現 | 天正19年(1591) 〜現在 |
602-0812 上京区 |
ほんまんじまえちょう 本満寺前町 | ほんまんじ 本満寺 | 現 | 天文8年(1539) 〜現在 |
602-0813 上京区 |
かみみこしちょう 上神輿町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 祭礼の神輿役 | − | 元和(1615-24)頃 |
602-0814 上京区 |
さいのかみちょう 幸神町 | さいのかみのやしろ 幸神社 | 現 | 応仁文明(1467-86) 〜現在 |
602-0815 上京区 |
かみとうのだんちょう 上塔之段町 | しょうこくじ 相国寺 七重大塔[9] | 現 | 永徳2年(1382) 〜現在 |
602-0816 上京区 |
びしゃもんちょう 毘沙門町 | びしゃもんどう 毘沙門堂 | 元 | 建久6年(1195) 〜寛文5年(1665) |
602-0817 上京区 |
びしゃもんよこちょう 毘沙門横町 | びしゃもんどう 毘沙門堂 | 元 | 建久6年(1195) 〜寛文5年(1665) |
602-0825 上京区 |
おもてちょう 表町 | りゅうほんじ 立本寺 表門 | 元 | 文禄(1592-96) 〜宝永5年(1708) |
602-0832 上京区 |
りゅうほんじまえちょう 立本寺前町 | りゅうほんじ 立本寺 | 元 | 文禄(1592-96) 〜宝永5年(1708) |
602-0833 上京区 |
しんにょどうつきぬけちょう 真如堂突抜町 | しんにょどう 真如堂 | 元 | 天正15年(1587) 〜元禄6年(1693) |
602-0835 上京区 |
こうどううちちょう 革堂内町 | ぎょうがんじ(こうどう) 行願寺(革堂) | 元 | 天正18年(1590) 〜宝永5年(1708) |
602-0837 上京区 |
しもとうのだんちょう 下塔之段町 | しょうこくじ 相国寺 七重大塔[9] | 現 | 永徳2年(1382) 〜現在 |
602-0839 上京区 |
しもみこしちょう 下御輿町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 祭礼の神輿役 | − | 元和(1615-24)頃 |
602-0845 上京区 |
しんにょどうまえちょう 真如堂前町 | しんにょどう 真如堂 | 元 | 天正15年(1587) 〜元禄6年(1693) |
602-0856 上京区 |
こうじんちょう 荒神町 | ごじょういん(きよしこうじん) 護浄院(清荒神) | 現 | 慶長5年(1600) 〜現在 |
602-0857 上京区 |
なかごりょうちょう 中御霊町 | なかごりょうじんじゃ 中御霊神社[5][廃] | 元 | 天正(1573-92) 〜明治4年(1871) |
602-0891 上京区 |
かみごりょうばばちょう 上御霊馬場町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-0894 上京区 |
かみごりょうなかまち 上御霊中町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-0895 上京区 |
かみごりょうまえちょう 上御霊前町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-0896 上京区 |
かみごりょうたてまち 上御霊竪町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-0897 上京区 |
しんごりょうぐちちょう 新御霊口町 | かみごりょうじんじゃ 上御霊神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-0898 上京区 |
しょうこくじもんぜんちょう 相国寺門前町 | しょうこくじ 相国寺 | 現 | 永徳2年(1382) 〜現在 |
602-0907 上京区 |
ふくながちょう 福長町 | ふくながじんじゃ 福長神社 | 現 | 天正(1573-92) 〜現在 |
602-0922 上京区 |
さんしゅうじちょう 讃州寺町 | さんしゅうじ 讃州寺 | 元 | 応仁元年(1467)後 〜? |
602-0926 上京区 |
もとしんにょどうちょう 元真如堂町 | しんにょどう 真如堂 | 元 | 文明3年(1471) 〜天正15年(1587) |
602-0935 上京区 |
おおみねずしちょう 大峰図子町 | おおみねでら 大峰寺[廃] | 元 | 不詳 |
602-0939 上京区 |
べんざいてんちょう 弁財天町 | べんざいてん 弁財天[10] | 元 | 室町時代 |
602-0943 上京区 |
こうどうちょう 革堂町 | ぎょうがんじ(こうどう) 行願寺(革堂) | 元 | 寛弘元年(1004)前 〜天正18年(1590) |
602-0945 上京区 |
こうどうなかのちょう 革堂仲之町 | ぎょうがんじ(こうどう) 行願寺(革堂) | 元 | 寛弘元年(1004)前 〜天正18年(1590) |
602-0946 上京区 |
かいこうじちょう 戒光寺町 | かいこうじ 戒光寺 | 元 | 応仁元年(1467)後 〜天正18年(1590) |
602-0947 上京区 |
ひがしまち 東町 | せいがんじ 誓願寺 | 元 | ? 〜天正19年(1591) |
602-0953 上京区 |
もとひゃくまんべんちょう 元百万遍町 | ちおんじ(ひゃくまんべん) 知恩寺(百万遍) | 元 | 弘和3年(1383) 〜天正18年(1590) |
602-0956 上京区 |
にしまち 西町 | せいがんじ 誓願寺 | 元 | ? 〜天正19年(1591) |
602-0958 上京区 |
なかのちょう 仲之町 | せいがんじ 誓願寺 | 元 | ? 〜天正19年(1591) |
602-0959 上京区 |
こうどうにしまち 革堂西町 | ぎょうがんじ(こうどう) 行願寺(革堂) | 元 | 寛弘元年(1004)前 〜天正18年(1590) |
602-8001 上京区 |
もとじょうかいんちょう 元浄花院町 | しょうじょうけいん 清浄華院 | 元 | 貞和(1345-49)頃 〜慶長(1596-1615) |
602-8003 上京区 |
せいわいんちょう 清和院町 | せいわいん 清和院?[11] | 元 | 中世 |
602-8005 上京区 |
もとちょうみょうじちょう 元頂妙寺町 | ちょうみょうじ 頂妙寺 | 元 | 永正6年(1509) 〜大永3年(1523) |
602-8015 上京区 |
じょうせんいんちょう 常泉院町 | [不詳] | − | − |
602-8016 上京区 |
りょうごりょうちょう 両御霊町 | しもごりょうじんじゃ 下御霊神社 | 元 | ? 〜天正18年(1590) |
602-8018 上京区 |
ごりょうちょう 御霊町 | しもごりょうじんじゃ 下御霊神社 | 元 | ? 〜天正18年(1590) |
602-8037 上京区 |
はちまんちょう 八幡町 | はちまんぐう 八幡宮の社[廃] | 元 | ? 〜宝永5年(1708) |
602-8113 上京区 |
もとふくだいみょうじんちょう 元福大明神町 | ふくだいみょうじん 福大明神の社[廃] | 元 | 寛永(1624-45) 〜寛文(1661-72) |
602-8114 上京区 |
こうじんちょう 荒神町 | いなりこうじんやしろ 稲荷荒神社[廃] | 元 | 延暦19年(800) 〜明治7年(1874) |
602-8162 上京区 |
ひがししんめいちょう 東神明町 | さくらのみやじんじゃ 桜宮神社(桜葉宮)[12] | 現 | ? 〜現在 |
602-8168 上京区 |
べんてんちょう 弁天町 | べんてんしゃ 弁天社 | 現 | 不詳 |
602-8169 上京区 |
にししんめいちょう 西神明町 | さくらのみやじんじゃ 桜宮神社(桜葉宮)[12] | 現 | ? 〜現在 |
602-8208 上京区 |
ちえこういんまえのちょう 智恵光院前之町 | ちえこういん 智恵光院 | 現 | 寛永13年(1636)前 〜現在 |
602-8216 上京区 |
たてもんぜんちょう 竪門前町 | ずいりゅうじ 瑞龍寺 | 元 | 江戸時代 〜昭和38年(1963) |
602-8217 上京区 |
みなみもんぜんちょう 南門前町 | ずいりゅうじ 瑞龍寺 | 元 | 江戸時代 〜昭和38年(1963) |
602-8222 上京区 |
せいめいちょう 晴明町 | せいめいじんじゃ 晴明神社 | 現 | 寛弘4年(1007) 〜現在 |
602-8223 上京区 |
よこしんめいちょう 横神明町 | しんめいしゃ 神明社[13] | 元 | 不詳 |
602-8226 上京区 |
いしやくしちょう 石薬師町 | やくしぶつ 薬師仏(石造) | 現 | 不詳 |
602-8227 上京区 |
びしゃもんちょう 毘沙門町 | びしゃもんどう 毘沙門堂 | 元 | 天正(1573-92) |
602-8228 上京区 |
たてしんめいちょう 竪神明町 | しんめいしゃ 神明社[13] | 元 | 不詳 |
602-8233 上京区 |
ふくだいみょうじんちょう 福大明神町 | ふくだいみょうじん 福大明神の社[廃] | 元 | 寛文(1661-72) 〜近世 |
602-8256 上京区 |
しんめいちょう 神明町 | しんめいしゃ 神明社(聚楽第内)[廃] | 元 | 不詳 |
602-8267 上京区 |
こうだいいんたてまち 高台院竪町 | [高台院(秀吉夫人)の居宅跡] | − | 16世紀末 |
602-8271 上京区 |
こうだいいんちょう 高台院町 | [高台院(秀吉夫人)の居宅跡] | − | 16世紀末 |
602-8274 上京区 |
さんのうちょう 山王町 | さんのう 山王の祠[不詳] | 元 | 中世 |
602-8275 上京区 |
こうどうまえのちょう 革堂前之町 | [一条油小路の革堂前から移住] | − | 慶長(1596-1615)初め |
602-8276 上京区 |
ひゃくまんべんちょう 百万遍町 | [荒神口の知恩寺近傍から移住][14] | − | 正保元年(1644) |
602-8278 上京区 |
あいぜんじちょう 愛染寺町 | あいぜんじ 愛染寺 | 元 | ? 〜天正(1573-92) |
602-8283 上京区 |
なかごりょうちょう 仲御霊町 | [広小路の中御霊神社前から移住] | − | 寛永21年(1644) |
602-8298 上京区 |
たいどうちょう 泰童町 | だいちょうじ 大超寺 開基:勝誉泰童 | 元 | 天正19年(1591) 〜昭和58年(1983) |
602-8299 上京区 |
こうどうのうちちょう 革堂之内町 | [一条油小路の革堂寺内から移住] | − | 天正18年(1590)後 |
602-8301 上京区 |
にしろざんじちょう 西芦(廬)山寺町 | ろざんじ 廬山寺 | 元 | 寛元元年(1243) 〜天正(1573-92) |
602-8303 上京区 |
うばがてらのまえちょう 姥ケ寺之前町[15] | ほんずいじ 本瑞寺 | 現 | 慶長11年(1606) 〜現在 |
602-8307 上京区 |
えんままえちょう 閻魔前町 | いんじょうじ(せんぼんえんまどう) 引接寺(千本閻魔堂) | 現 | 寛仁(1017-21) 〜現在 |
602-8318 上京区 |
おいまつちょう 老松町 | おいまつしゃ 老松社 北野天満宮摂社 | 元 | ? 〜文政(1818-31) |
602-8321 上京区 |
みなみじょうぜんじちょう 南上善寺町 | じょうぜんじ 上善寺 | 現 | 文禄3年(1594) 〜現在 |
602-8324 上京区 |
もとかんのんちょう 元観音町 | [不詳] | − | − |
602-8325 上京区 |
びしゃもんちょう 毘沙門町 | ほんこうじ 本光寺 | 現 | 寛永(1624-45) 〜現在 |
602-8326 上京区 |
にしじょうぜんじちょう 西上善寺町 | じょうぜんじ 上善寺 | 現 | 文禄3年(1594) 〜現在 |
602-8335 上京区 |
いちかんのんちょう 一観音町 | せいわいん 清和院(一条河崎観音堂) | 現 | 寛文元年(1661)後 〜現在 |
602-8372 上京区 |
しもたてちょう 下竪町 | だいしょうぐんはちじんじゃ 大将軍八神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-8373 上京区 |
しもよこちょう 下横町 | だいしょうぐんはちじんじゃ 大将軍八神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-8374 上京区 |
にしまち 西町 | だいしょうぐんはちじんじゃ 大将軍八神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-8375 上京区 |
おおかみのちょう 大上之町 | だいしょうぐんはちじんじゃ 大将軍八神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-8376 上京区 |
おおひがしちょう 大東町 | だいしょうぐんはちじんじゃ 大将軍八神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-8377 上京区 |
ひがしたてちょう 東竪町 | だいしょうぐんはちじんじゃ 大将軍八神社 | 現 | 延暦13年(794) 〜現在 |
602-8381 上京区 |
しんせいちょう 真盛町 | さいほうにじ 西方尼寺 開基:真盛 | 現 | 永正(1504-21) 〜現在 |
602-8385 上京区 |
かんのんじもんぜんちょう 観音寺門前町 | かんのんじ 観音寺(東向観音寺) | 現 | ? 〜現在 |
602-8391 上京区 |
しんめいちょう 神明町 | しんめいしゃ 神明社(高橋神社) 北野天満宮末社 | 元 | ? 〜江戸末期 |
602-8393 上京区 |
とりいまえちょう 鳥居前町 | きたのてんまんぐう 北野天満宮 | 現 | 天暦元年(947) 〜現在 |
602-8395 上京区 |
しゃけながやちょう 社家長屋町 | きたのてんまんぐう 北野天満宮 社家 | 現 | 天暦元年(947) 〜現在 |
602-8401 上京区 |
やくしまえちょう 薬師前町 | さいふくじ(やくしどう) 西福寺[16](薬師堂)[廃] | 元 | 天正13年(1585) 〜明治維新 |
602-8403 上京区 |
なかやしろちょう 中社町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-8406 上京区 |
けいかいんちょう 花開院町 | けかいいん 華開院 | 元 | 延文(1356-61) 〜天正17年(1589) |
602-8415 上京区 |
まえのちょう 前之町 | あぐい 安居院[廃] | 元 | 永暦元年(1160)前 〜応仁の乱(1467-77) |
602-8417 上京区 |
ひがしやしろちょう 東社町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-8418 上京区 |
みょうれんじまえちょう 妙蓮寺前町 | みょうれんじ 妙蓮寺 | 現 | 天正4年(1576) 〜現在 |
602-8421 上京区 |
しばやくしちょう 芝薬師町 | だいこうじ(しばやくし) 大興寺(芝薬師) | 元 | 建久7年(1197) 〜天正9年(1581) |
602-8424 上京区 |
あみだじちょう 阿弥陀寺町 | あみだじ 阿弥陀寺 | 元 | 元亀元年(1570)頃 〜天正15年(1587) |
602-8426 上京区 |
まんだらちょう 曼陀羅町 | てんしょうじ(まんだらさん) 天性寺(曼陀羅山) | 元 | 大永(1521-28) 〜天正15年(1587) |
602-8436 上京区 |
じげんあんちょう 慈眼庵町 | じげんじ 慈眼寺 | 元 | 天正16年(1588) 〜寛文3年(1663) |
602-8442 上京区 |
やくしちょう 薬師町 | やくしぶつ 薬師仏 | 現 | 不詳 |
602-8443 上京区 |
もとみょうれんじちょう 元妙蓮寺町 | みょうれんじ 妙蓮寺 | 元 | 天文11年(1542) 〜天正15年(1587) |
602-8455 上京区 |
たいどうかたはらちょう 泰童片原町 | だいちょうじ 大超寺 開基:勝誉泰童 | 元 | 天正19年(1591) 〜昭和58年(1983) |
602-8463 上京区 |
こうどうちょう 革堂町 | [寺町荒神口から移住]?[17] | − | 天正18年(1590)? |
602-8468 上京区 |
ひがしじょうぜんじちょう 東上善寺町 | じょうぜんじ 上善寺 | 現 | 文禄3年(1594) 〜現在 |
602-8473 上京区 |
はんしゅういんまえちょう 般舟院前町 | はんじゅういん 般舟院[廃][18] | 元 | 文禄4年(1595) 〜平成23年(2011) |
602-8474 上京区 |
じょうぜんじちょう 上善寺町 | じょうぜんじ 上善寺 | 現 | 文禄3年(1594) 〜現在 |
602-8481 上京区 |
しょうてんちょう 聖天町 | うほういん(にしじんしょうてん) 雨宝院(西陣聖天) | 現 | 天正(1573-92) 〜現在 |
602-8491 上京区 |
にしやしろちょう 西社町 | いちいだにななのじんじゃ 櫟谷七野神社 | 現 | 貞観元年(859) 〜現在 |
602-8492 上京区 |
かんきちょう 歓喜町 | だいかんきじ 大歓喜寺 | 元 | ? 〜天正(1573-92) |
[1] | 社寺の創建年や移転年は、諸説あって確定していない場合があります。 ここでは代表的な説を記しています。 |
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[2] | 細川政国(1428-1495)の戒名は禅昌院道勝大憧で、細川頼之(1329-1392)が寛正2年(1461)に創建した宝厳院が、政国の死後、一時期禅昌院と称したとみられています。 |
[3] | 細川満元(1378-1426)の没後、その旧居を寺として法名から岩栖院と称しました。
慶長年間(1596-1615)には、金工で著名な後藤長乗が徳川家康から岩栖院の跡地を拝領した記録があります。
一方、東山下河原の高台寺が創建された場所には慶長10年(1605)まで岩栖院あり、この岩栖院には応仁の乱(1467-1477)で焼失しその後再興された記録があります。 もしこれら2つの岩栖院が同じ寺院だとすると、岩栖院町に創建された岩栖院が応仁の乱で焼失、その後東山下河原で再興され、高台寺の創建に伴い移転したと考えられます。 |
[4] | 花御所八幡宮は、室町幕府三代将軍足利義満(1305-58)が造営した花の御所の鎮守として、源氏の氏神である八幡神を祀っていました。
小山郷(鞍馬口)へ移されて五所八幡宮になったとの説がありますが、「都すゞめ案内者(1715)」の次の一節から、私はその説を疑問視しています。
「五所八幡宮 ・・・ 近年足利家の花の御所に効(なそらへ)て御所八幡とも称す」 現在、御霊神社入口に「花御所八幡宮」の石標がありますが、本来の位置は御所八幡町と考えられています。 |
[5] | 中御霊神社は御霊神社(上御霊神社)の御旅所でした。 |
[6] | 水火天満宮は上天神町にありましたが、堀川通の拡張に伴って昭和27年(1952)に東隣の現在地へ移転しました。 |
[7] | 明治10年(1877)以前は現在地より少し西にあったようです。 |
[8] | 康徳寺は東山下河原にある高台寺の前身の寺で、慶長3年(1598)頃、秀吉の妻寧子(ねね)が生母朝日の局のため創建しました。 この康徳寺は高徳寺町にあったとみられていますが、移転して高台寺となったはずの慶長10年(1605)以降に、「京雀(1664)」は同所に「くはうとく寺」を記しています。 康徳寺の移転後に高徳寺が再興されたのでしょうか。 |
[9] | 町名由来の高さ360尺(109m)の七重大塔は、応永6年(1399)の建立後、落雷による焼失と再建を繰り返しましたが、文明2年(1470)の落雷・焼失を最後に再建されていません。 |
[10] | 「京都坊目誌」と「京都市の地名」は町名の由来を室町9代将軍義尚の小川御所の鎮守だった弁財天の祠としていますが、「角川日本地名大辞典」は「府地誌」の引用で東北院内の弁天堂の旧址としています。 |
[11] | 「京都坊目誌(上京第十三學區之部)」の清和院町の項は中世に清和院があったと記していますが、「京都市の地名」は不詳としています。 |
[12] | 桜葉宮(日降太神宮)は明治5年(1872)に廃社となりましたが、桜宮神社として再建されました。 |
[13] | 「京都市の地名」は「京都坊目誌」の引用で町名の由来を神明社としていますが、「角川日本地名大辞典」は「府地誌」の引用で晴明神社としています。 |
[14] | 「京町鑑(1762)」には「昔百万返智恩寺この町にありしとにや(=あったのであろうか)」とありますが、移住説が有力です。 |
[15] | 「姥ケ寺の前」の意味ではなく、「姥ケ懐(地名:うばがふところ)の本瑞寺の前」の意味です。 |
[16] | 西福寺の僧が斬罪となる者に引導を渡すのが恒例となっていたので、西福寺は別名「獄門寺」とも呼ばれていました。 |
[17] | 行願寺(革堂)が一時期あったことによると伝えらえていますが、移住説の方が有力と考えています。 |
[18] | 平成23年(2011)11月の新聞報道によると、般舟院の土地と建物は競売にかけられて別法人に所有権が移りました。 現在、般舟院の跡は「西圓寺」という寺院になっています。 |
更新日:2022/03/14