社寺町名 (中京区)

ZIP、区 町名 由来社寺 社寺所在時期[1]
604-0001
中京区
どうじょうちょう 道場町どうじょうちょう もんみょうじ(おおいどうじょう) 聞名寺もんみょうじ大炊道場おおいどうじょう 仁和元年(885)
〜天正18年(1590)
604-0012
中京区
たてだいおんじちょう 竪大恩寺町たてだいおんじちょう だいおんじ 大恩寺だいおんじ 天正13年(1585)
〜天正(1573-92)
604-0021
中京区
たこやくしちょう 蛸薬師町たこやくしちょう えいふくじ(たこやくしどう) 永福寺えいふくじ蛸薬師堂たこやくしどう 応仁元年(1467)
〜天正19年(1591)
604-0024
中京区
しもみょうかくじちょう 下妙覚寺町しもみょうかくじちょう みょうかくじ 妙覚寺みょうかくじ 文明15年(1483)
〜天正11年(1583)
604-0025
中京区
かみみょうかくじちょう 上妙覚寺町かみみょうかくじちょう みょうかくじ 妙覚寺みょうかくじ 文明15年(1483)
〜天正11年(1583)
604-0026
中京区
だいおんじちょう 大恩寺町だいおんじちょう だいおんじ 大恩寺だいおんじ 天正13年(1585)
〜天正(1573-92)
604-0036
中京区
しょうぎょうじちょう 正行寺町しょうぎょうじちょう しょうぎょうじ 正行寺しょうぎょうじ 天正9年(1581)
〜天正18年(1590)
604-0062
中京区
やくしちょう 薬師町やくしちょう やくしいん 薬師院やくしいん(こぬか薬師)[2]
〜現在
604-0082
中京区
びしゃもんちょう 毘沙門町びしゃもんちょう びしゃもんどう 毘沙門堂びしゃもんどう 不詳
604-0092
中京区
おおいちょう 大炊町おおいちょう もんみょうじ(おおいどうじょう) 聞名寺もんみょうじ大炊道場おおいどうじょう 仁和元年(885)
〜天正18年(1590)
604-0093
中京区
べんざいてんちょう 弁財天町べんざいてんちょう べんざいてん 弁財天べんざいてんの祠 応仁(1467-68)
〜天明8年(1788)
604-0821
中京区
かんのんちょう 観音町かんのんちょう おたぎねんぶつじ 愛宕念仏寺おたぎねんぶつじ[3] 観音堂
〜応仁元年(1467)
604-0825
中京区
ごしょはちまんちょう 御所八幡町ごしょはちまんちょう ごしょはちまんぐう 御所八幡宮ごしょはちまんぐう 康永3年(1344)
〜現在
604-0834
中京区
たかだちょう
高田町たかだちょう
せんじゅじきょうとべついん(たかだぼう) 専修寺京都別院せんじゅじきょうとべついん高田坊たかだぼう 慶長10年(1605)
〜元和3年(1617)
604-0841
中京区
におうもんつきぬけちょう 仁王門突抜町におうもんつきぬけちょう おたぎねんぶつじ 愛宕念仏寺おたぎねんぶつじ[4] 仁王門 ?文保2年(1318)
〜応仁元年(1467)
604-0847
中京区
あきののちょう 秋野々町あきののちょう しょうみょうじ(あきのどうじょう) 称名寺しょうみょうじ秋野道場あきのどうじょう)[廃?][5] 延文(1356-60)
〜天正18年(1590)
604-0853
中京区
しんにょどうちょう 真如堂町しんにょどうちょう [不詳]旧名・二王門町
604-0854
中京区
におうもんちょう 仁王門町におうもんちょう おたぎねんぶつじ 愛宕念仏寺おたぎねんぶつじ[4] 仁王門
〜応仁元年(1467)
604-0866
中京区
さいほうじちょう 西方寺町さいほうじちょう さいほうじ 西方寺さいほうじ 応仁(1467-68)
〜天正(1573-92)
604-0873
中京区
しょうしょういおたびちょう 少将井御旅町しょうしょういおたびちょう しょうしょうい 少将井しょうしょうい[6] 八坂神社御旅所 長和2年(1013)
〜天正19年(1591)
604-0876
中京区
ひかりどうちょう ひか堂町どうちょう ぶっこうじ(ひかりどう) 佛光寺ぶっこうじ光堂ひかりどう 応永元年(1394)
〜天正(1573-92)
604-0904
中京区
にしこうどうちょう 西革堂町にしこうどうちょう [(旧)西革堂町から移住]?[7] 宝永5年(1708)
604-0914
中京区
ようほうじまえちょう 要法寺前町ようほうじまえちょう ようぼうじ 要法寺ようぼうじ 天正11年(1583)
〜宝永5年(1708)
604-0925
中京区
かみほんのうじまえちょう 上本能寺前町かみほんのうじまえちょう ほんのうじ 本能寺ほんのうじ 天正15年(1587)
〜現在
604-0932
中京区
みょうまんじまえちょう 妙満寺前町みょうまんじまえちょう みょうまんじ 妙満寺みょうまんじ 天正18年(1590)
〜昭和43年(1968)
604-0943
中京区
かみはくさんちょう 上白山町かみはくさんちょう はくさんじんじゃ 白山神社はくさんじんじゃ 文治(1185-89)
〜現在
604-0954
中京区
ひがしはちまんちょう 東八幡町ひがしはちまんちょう ごしょはちまんぐう 御所八幡宮ごしょはちまんぐう 康永3年(1344)
〜現在
604-0956
中京区
とうじじちょう 等持寺町とうじじちょう とうじじ 等持寺とうじじ[廃] 延文3年(1359)
〜応仁元年(1467)
604-0963
中京区
ほていやちょう 布袋屋町ほていやちょう だいふくじ(ほていやくし) 大福寺だいふくじ菩提薬師ほていやくし 延文元年(1356)
〜現在
604-0981
中京区
びしゃもんちょう 毘沙門町びしゃもんちょう びしゃもんどう 毘沙門堂びしゃもんどう 寛永(1624-45)
〜?
604-0991
中京区
ぎょうがんじもんぜんちょう 行願寺門前町ぎょうがんじもんぜんちょう ぎょうがんじ 行願寺ぎょうがんじ 宝永5年(1708)
〜現在
604-0993
中京区
くえんいんまえちょう 久遠院前町くえんいんまえちょう じゃっこうじ(くおんいん) 寂光寺じゃっこうじ久遠院くおんいん 天正18年(1590)
〜宝永5年(1708)
604-0995
中京区
しもごりょうまえちょう 下御霊前町しもごりょうまえちょう しもごりょうじんじゃ 下御霊神社しもごりょうじんじゃ 天正18年(1590)
〜現在
604-8045
中京区
えんぷくじまえちょう 円福寺前町えんぷくじまえちょう えんぷくじ 円福寺えんぷくじ 天正13年(1585)
〜明治16年(1863)
604-8061
中京区
しきぶちょう 式部町しきぶちょう せいしんいん(いずみしきぶ) 誠心院せいしんいん和泉式部いずみしきぶ 天正19年(1591)
〜現在
604-8081
中京区
てんしょうじまえちょう 天性寺前町てんしょうじまえちょう てんしょうじ 天性寺てんしょうじ 天正15年(1587)
〜現在
604-8085
中京区
しもはくさんちょう 下白山町しもはくさんちょう はくさんじんじゃ 白山神社はくさんじんじゃ 文治(1185-89)
〜現在
604-8091
中京区
しもほんのうじまえちょう 下本能寺前町しもほんのうじまえちょう ほんのうじ 本能寺ほんのうじ 天正15年(1587)
〜現在
604-8094
中京区
なかはくさんちょう 中白山町なかはくさんちょう はくさんじんじゃ 白山神社はくさんじんじゃ 文治(1185-89)
〜現在
604-8101
中京区
やなぎはちまんちょう 柳八幡町やなぎはちまんちょう ごしょはちまんぐう 御所八幡宮ごしょはちまんぐう 康永3年(1344)
〜現在
604-8134
中京区
どうのまえちょう 堂之前町どうのまえちょう ちょうほうじ(ろっかくどう) 頂法寺ちょうほうじ六角堂ろっかくどう 用明天皇2年(587)
〜現在
604-8141
中京区
せんしょうじちょう 泉正寺町せんしょうじちょう せんしょうじ 泉正寺せんしょうじ[不詳] 不詳
604-8144
中京区
もとほうねんじちょう 元法然寺町もとほうねんじちょう ほうねんじ 法然寺ほうねんじ 建久8年(1197)
〜天正(1573-92)
604-8146
中京区
いちれんしゃちょう 一蓮社町いちれんしゃちょう ごくらくじ 極楽寺ごくらくじ 開基:一蓮社笈誉 天文12年(1543)
〜天正18年(1590)
604-8162
中京区
しちかんのんちょう 七観音町しちかんのんちょう しちかんのんいん 七観音院しちかんのんいん 建久5年(1194)
〜天正(1573-1592)
604-8175
中京区
えんぷくじちょう 円福寺町えんぷくじちょう えんぷくじ 円福寺えんぷくじ 応仁元年(1467)
〜天正13年(1585)
604-8183
中京区
ひがしかたまち 東片町ひがしかたまち どんげいん 曇華院どんげいん 暦応(1338-42)
〜明治5年(1872)
604-8184
中京区
どんげいんまえちょう 曇華院前町どんげいんまえちょう どんげいん 曇華院どんげいん 暦応(1338-42)
〜明治5年(1872)
604-8207
中京区
しんめいちょう 神明町しんめいちょう たかまつしんめいじんじゃ 高松神明神社たかまつしんめいじんじゃ 鳥羽帝(1107-23)
〜現在
604-8215
中京区
ふどうちょう 不動町ふどうちょう ふどうどう 不動堂ふどうどう 不詳
604-8222
中京区
かんのんどうちょう 観音堂町かんのんどうちょう りゅうふくじ 龍福寺りゅうふくじ[廃] 観音堂
〜天正13年(1585)
604-8231
中京区
もとほんのうじみなみちょう 元本能寺南町もとほんのうじみなみちょう ほんのうじ 本能寺ほんのうじ 天文14年(1545)
〜天正10年(1582)
604-8232
中京区
くうやちょう 空也町くうやちょう くうやじ 空也寺くうやじ[8] 天禄3年(972)
〜天正19年(1591)
604-8243
中京区
ほんのうじちょう 本能寺町ほんのうじちょう ほんのうじ 本能寺ほんのうじ 天文14年(1545)
〜天正10年(1582)
604-8244
中京区
もとほんのうじちょう 元本能寺町もとほんのうじちょう ほんのうじ 本能寺ほんのうじ 天文14年(1545)
〜天正10年(1582)
604-8306
中京区
もんぜんちょう 門前町もんぜんちょう しんせんえん 神泉苑しんせんえん 天長元年(824)[9]
〜現在
604-8331
中京区
おんともちょう 御供町おんともちょう ごくうしゃ 御供社ごくうしゃ 八坂神社境外末社 康和2年(1100)
〜現在
604-8341
中京区
いわがみちょう 岩上町いわがみちょう なかやまじんじゃ(いわがみじんじゃ) 中山神社なかやまじんじゃ岩上神社いわがみじんじゃ 延暦13年(794)
〜現在
604-8371
中京区
しんせんえんちょう
神泉苑町しんせんえんちょう
しんせんえん 神泉苑しんせんえん 天長元年(824)[10]
〜現在
604-8821
中京区
みぶ なぎのみやちょう 壬生みぶ 梛ノ宮町なぎのみやちょう なぎじんじゃ 梛神社なぎじんじゃ 貞観11年(869)
〜現在
[1]社寺の創建年や移転年は、諸説あって確定していない場合があります。 ここでは代表的な説を記しています。
[2]本尊のこぬか薬師は、16世紀に上洛を果たした織田信長が美濃から移したそうです。
[3]京都坊目誌」は、二条にあった念仏寺が、応仁の乱の後に六波羅の愛宕寺と合併して愛宕念仏寺になったとする説を記していますが、念仏寺の開基を僧千観(918-984)、創建を文保2年(1318)とする説明に矛盾があります。
[4]京都坊目誌」は、念仏寺の仁王門説とともに頂妙寺の仁王像説を記していますが、「共に信し難し後考を俟つ」としています。 愛宕念仏寺の仁王像は鎌倉時代の作とされ、文保2年(1318)に二条に創建された寺(寺名不詳)が千観の開いた六波羅の念仏寺に合併され、観音堂と仁王門が移築されたと考えると、すべて矛盾は生じないのですが。。。
[5]京都坊目誌(上京第廿八學區之部)」の稱名寺の項に「北門前町 聞名寺中にあり」と記されていますが、現存確認できていません。
[6]少将井御旅所は大政所御旅所と統合し四条寺町南側の八坂神社御旅所(四条御旅所)に移設されました。 跡地に天王社を祀る小祠が建てられましたが、この社も明治10年(1877)に京都御苑内の宗像神社境内に遷されています。
[7]西革堂町は革堂(行願寺)の東側にあり、革堂との位置関係は町名の由来ではありません。
[8]京都坊目誌(下京第二學區之部)」の空也町の項に「天禄三年僧空也創建する梵宇此地にありて空也寺と號す」と記されていますが、「京都市の地名」は確認できないとしています。
[9]神泉苑は平安京造営に伴って設けられた禁苑でしたが、天長元年(824)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝って東寺の支配下に入って以降、寺院化していきました。
[10]神泉苑は平安京造営に伴って設けられた禁苑でしたが、天長元年(824)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝って東寺の支配下に入って以降、寺院化していきました。

更新日:2022/03/15