洛陽二十四箇寺地蔵菩薩 延命地蔵菩薩経直談鈔 元禄10年(1697)

延命地藏菩薩經直談鈔
洛陽二十四箇寺地蔵菩薩順禮所
現在
一番 壬生寺地藏尊 定朝作
壬生村
壬生寺/縄目地蔵[1]
二番 萬年寺地藏尊 定朝作
同所
新徳寺[2]/屋葺地蔵(屋根葺地蔵)
三番 光林寺地藏尊 惠心作
綾小路大宮西入町
光林寺/水上地蔵
四番 勸學院地藏尊 春日作
四条雀森スヽメノモリ
更雀寺[3]/桶取地蔵
※ 昭和52年(1977)、中京区錦大宮町から現在地へ移転
五番 休務キウム寺地藏尊 定朝作
錦小路大宮西入町
休務寺
六番 善想寺地藏尊 定朝作
六角通大宮西入町
善想寺/泥足地蔵(汗出し地蔵)
七番 ユウ正寺地藏尊 慈覺作
下立賣千本ヨリ二町西
祐正寺/妻取地蔵(娶妻結地蔵)
八番 地藏院地藏尊 行基作
カイ川万日デラ[4]
地蔵院鍬形くわがた地蔵(昆陽野こやの地蔵)
九番 淨福寺地藏尊 弘法作
一条通千本ヨリ一町東
浄福寺/引接地蔵(引摂地蔵)
十番 長榮寺地藏尊 行者
大宮通一条ヨリ二町上ル
長栄寺
十一番 石像セキザウ寺地藏尊 釘抜地藏云弘法
作千本通五辻ヨリ二町上
石像寺/釘抜地蔵
十二番 地藏院地藏尊 行基作
千本寺中ハシノボウ
「上品蓮台寺子院 地蔵院(橋の坊)[5]」廃寺 /歯形地蔵
十三番 蓮臺寺地藏尊 太子作
千本ノ方丈
上品蓮台寺/延命地蔵
十四番 興聖コウシヤウ寺地藏尊 小野篁作
天神ノ辻子
興聖寺/勝軍地蔵
[6]五番 西林寺地藏尊 役行者作
同天神ノ前ヨリ
西林寺木槿もくげ地蔵
十六番 三福寺地藏尊 定朝作
寺町
三福寺/夢見地蔵
十七番 モン名寺地藏尊 定朝作
同竹屋町下カド
聞名寺明眼あけめ地蔵
十八番 矢田ヤタ寺地藏尊 滿米作
同三条上
矢田寺/代受苦地蔵
十九番 淸帶セイタイ寺地藏尊 行基作
誓願寺辻子
廃寺[7] /腹帯地蔵は西光寺
※ 明治6年(1873)、西光寺と合併
二十番 了蓮寺地藏尊 定朝作
寺町錦上
了蓮寺
※ 明治34年(1901)、現在地へ移転
廿一番 十住心院地藏尊 弘法作
四条御旅北側
染殿院/染殿地蔵
廿二番 仲源チウゲン寺地藏尊 定朝作
メヤミ地藏
仲源寺目疾めやみ地蔵
廿三番 十輪院地藏尊 運慶作
六波羅ノ内
「六波羅蜜寺塔頭 十輪院[8]」廃寺 /夢見地蔵は六波羅蜜寺
廿四番 六波羅密寺地藏尊 弘法作
本尊脇立
六波羅蜜寺鬘掛かつらかけ地蔵
洛陽堀川ニ持寳軒正勝云人アリ 日來ヒゴロ壬生地藏尊ヲ信敬スルニ一夜アルヨノ夢ニ法師一人來ヲ信セント欲セバ新ニ廿四箇所ノ地藏ヲ順礼セヨト 同ツゲ三夜ミヨツヾケテユメミル 故ニ寛文三年七月廿四日ヨリ洛中洛外ノ權作ノ地藏尊ヲタツ子テ廿四箇寺ノ地藏マワリヲ始メテ定
[1]旧本尊の縄目地蔵は昭和37年(1962)に焼失しましたが、令和2年(2020)に復元されました。 現在の本尊は昭和42年(1967)に唐招提寺から移された延命地蔵菩薩立像です。
[2]元文4年(1739)、北隣の万年寺など四寺を併合して新徳寺が建立され、万年寺の地蔵だった屋葺地蔵は新徳寺に引き継がれました。
[3]勧学院が改名して更雀寺となりました。 中京区西ノ京勧学院町は、藤原冬嗣によって創建された勧学院(藤原氏の大学別曹)の跡地で、錦大宮町へ移転する前の勧学院(寺院)があった場所と言われています。
[4]元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、現在の地蔵院(椿寺)の位置に「万日寺」があり、当時はこの名称で呼ばれていたことが確認できます。
[5]宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「レンダイジ」の近くに千本通に面して「ジゾウイン」があります。
また、元禄6年(1693)頃の洛中を描いた「洛中絵図」を見ると、「蓮臺寺」十二坊のひとつとして「橋ノ坊」が描かれています。
[6]原文通り表記しています。
[7]都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「清帯寺は西光寺の西向ひなり 本尊腹帯地蔵は土仏にして行基の作なり」
西光寺にある現在の小さな腹帯地蔵は、元の大きな泥塑仏の胎内仏といわれています。
[8]山州名跡志(巻之三)」の普陀洛山六波羅蜜寺の項に以下の記述があります。 「十輪院 在開山堂北 本尊 地蔵菩薩 坐像二尺五寸許

更新日:2025/06/10