洛陽延命六地蔵 延命地蔵菩薩経直談鈔 元禄10年(1697)

延命地藏菩薩經直談鈔
洛陽延命六地藏菩薩
現在
一番 東光寺地藏尊 弘法ノ作
北野右近ノ馬塲
東光寺
二番 念寺地藏尊 弘法ノ作七本松通ヨリ一
町東本誓願寺[1]上ル町
護念寺
三番 淨善寺地藏尊[2] 惠心ノ作
寺町カラシ[3]鞍馬口クラマグチ
上善寺
四番 西シヤウ寺地藏尊 弘法ノ作川渡地藏ト
云寺町サワラキ町上ル
西昌寺[4]
五番 萬年寺地藏尊 惠心ノ作
五條下寺町
万年寺
六番 エン寺地藏尊 惠心ノ作
松原通大宮西ヘ二町目
長圓寺
昔シ西光法師洛外六地藏ヲ順礼シ始メ玉ヘシヨリ今ニ参詣ノ人多シト云ヘトモ道ノホドトヲクヲ一日ノ中ニ老弱ラウニヤク疲蹇ヒケンノモノハマハリガタシ 是ニ由テ延命六地藏ノ願主宝譽菜舟法師年來ノ願望アリテ廣ク他力ヲモヨヲシ新タニ延命地藏尊ヲ六躰座像御長七寸五分ニ佛工ヲタノミ造立シ腹心フクシンコン作ノ地藏尊ヲ納メ此ノ尊ヲ近キ洛中ノ精舎六所ニ移シ奉 人ヲシテ容易タヤスク結縁セシメンガ爲メナラク[5]
[1]「本誓願寺」は「元誓願寺通」のことです。
[2]元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、寺町通の突き当り鞍馬口通の北に『浄善寺(上善寺)』が描かれています。
ただし、現在の上善寺にある鞍馬口地蔵は深泥池のほとりにあった御菩薩池(深泥池)地蔵が移されたもので、浄善寺地蔵は深泥池地蔵と別に存在したようです。
[3]「カラシ」と見えるのですが、意味不明です。 もしかしたら「カシラ(=頭:突き当りの意味)」かもしれません。
[4]宝永5年(1708)の大火後、寺町通から現在地へ移転しました。 元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、寺町通の椹木町通(今はここに存在しない)を上がった所に『西昌寺』が描かれています。
[5]「ナラク」と見えるのですが、「ナラン」かもしれません。

更新日:2025/06/10