七佛藥師 薩戒記 応永32年(1425)8月4日の条
薩戒記 現在
1 東寺 權大納言實秀 東寺/金剛薬師
2 蓼蔵 法雲寺 中御門宰相宗継 「法雲寺[1]」廃寺 /蓼倉薬師
※ 大正5年(1916)以降
3 因幡堂 四辻宰相中将季保 平等寺/因幡薬師
4 法界寺 日野 左大弁宰相秀光 法界寺/日野薬師(乳薬師)
5 八幡 護国寺 左中将權兼朝臣 「護国寺[2]」廃寺 /厄除け薬師は東山寺
※ 明治初年の神仏分離
6 大秦[3] 廣隆寺 蔵人左少弁資親 広隆寺
7 延暦寺 根本中堂 侍従益長 延暦寺 根本中堂
[1]拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「蓼倉(たでくら)薬師 満願寺の北に隣る 本尊は伝教大師の作 坐像一尺余 ・・・ 故に蓼倉山(れいさうさん)法雲寺と号す」
[2]都名所図会(巻之五)」の石清水正八幡宮の項に以下の記述があります。 「薬師堂 護国寺といふ ・・・ 本尊は立像の薬師なり」 護国寺の廃寺に伴い、薬師如来像と十二神将像の計13体の仏像は淡路島の東山寺(とうさんじ)へ移されました。
[3]「太秦」の誤記だろうと思いますが、原文通り「大秦」と表記します。

更新日:2016/03/21