十二藥師 | 薬師霊場記 貞享2年(1685) |
薬師霊場記 | 現在 | ||
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第一 | 石藥師[1] | 寺町真如堂之内 | 真如堂 石薬師堂/石薬師
※ 元禄6年(1693)、京極今出川から現在地へ移転 |
第二 | 芝藥師 | 同町下之甼 | 大興寺/芝(しばの)薬師
※ 元禄6年(1693)、京極今出川から現在地へ移転 |
第三 | 小屋藥師 | 同一条盧山寺之内 | 廬山寺/小屋の薬師 |
第四 | 嶺之藥師 | 同福勝寺之内 | 福勝寺/峰薬師
※ 宝永5年(1708)の焼亡後、現在地へ移転 |
第五 | 塔之藥師 | 同誓願寺之内 | 誓願寺/薬師如来像は三重塔とともに天明8年(1788)焼失 |
第六 | 蛸やくし | 同南通り | 永福寺[2]/蛸薬師 |
第七 | 祇園藥師 | 七佛之其一 | 「観慶寺[3]」廃寺 /薬師如来像は大蓮寺へ
※ 明治初年の神仏分離 |
第八 | 東山藥師 | 双林寺之内 | 双林寺/東山薬師 |
第九 | 因幡藥師 | 七佛之其一 | 平等寺/因幡薬師 |
第十 | 布袋藥師 | 白山通二条上ル町 | 大福寺/菩提(ぼたい、ほてい)薬師 |
第十一 | こぬか藥師 | 釜之座二条上ル町 | 薬師院/こぬか薬師 |
第十二 | 北野藥師 | 天神御社よりひかし | 「徳勝院[4]」廃寺 ※ 明治初年の神仏分離 |
[1] | 京都御苑の北東にある石薬師門、石薬師通、真如堂前町、真如堂突抜町などの名称・地名は、当時、京極(寺町通)今出川下ルにあった真如堂と石薬師に由来します。 |
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[2] | 永福寺は、天正19年(1591)頃から円福寺に合併されていましたが、現在は再び永福寺として独立し、蛸薬師がご本尊となっています。 |
[3] | 観慶寺(かんぎょうじ)は別名を祇園寺と言い、その寺域内にあった天神堂がのちの祇園社(八坂神社)となりました。 「花洛名勝図会(東山之部一 )」の祇園社の項に以下の記述があります。 「観慶寺 本殿の西にあり 薬師堂といふ」 |
[4] | 元禄6年(1693)頃の洛中を描いた「洛中絵図」を見ると、北野天神の東側(現・上京区社家長屋町)に「徳勝院」があります。 「徳勝院」は北野三宮司の一つで、明治維新の神仏分離で「松梅院」「妙蔵院」とともに廃されました。 |