七佛藥師 薬師霊場記 貞享2年(1685)
薬師霊場記 現在
太秦廣隆寺 藥師 常盤乃里 広隆寺
蓼倉山法雲寺 藥師 下岡崎里 「法雲寺[1]」廃寺 /蓼倉薬師
※ 大正5年(1916)以降
延暦寺中堂 藥師 比叡山 延暦寺 根本中堂
観慶寺 藥師 祇園 「観慶寺[2]」廃寺 /薬師如来像は大蓮寺
※ 明治初年の神仏分離
六道珍皇寺 藥師 六はら 六道珍皇寺
雄徳山護国寺 藥師 八幡 「護国寺[3]」廃寺 /男山の厄除け薬師は東山寺
※ 明治初年の神仏分離
平等寺因幡堂 藥師 松原通からす丸 平等寺/因幡薬師
[1]拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「蓼倉(たでくら)薬師 満願寺の北に隣る 本尊は伝教大師の作 坐像一尺余 ・・・ 故に蓼倉山(れいさうさん)法雲寺と号す」
[2]観慶寺(かんぎょうじ)は別名を祇園寺と言い、その寺域内にあった天神堂がのちの祇園社(八坂神社)となりました。 「花洛名勝図会(東山之部一 )」の祇園社の項に以下の記述があります。 「観慶寺 本殿の西にあり 薬師堂といふ」
[3]都名所図会(巻之五)」の石清水正八幡宮の項に以下の記述があります。 「薬師堂 護国寺といふ ・・・ 本尊は立像の薬師なり」 護国寺の廃寺に伴い、薬師如来像と十二神将像の計13体の仏像は淡路島の東山寺(とうさんじ)へ移されました。