洛陽天満宮二十五社順拝 | 日本歴史叢書<19>天満宮 原典:文政六年日記 文政6年(1823) |
文政六年日記 | 現在 | ||
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一番 | 仏光寺 西洞院 |
管大臣 | 菅大臣神社 |
二番 | 仏光寺通 西洞院 |
北菅大臣 | 北菅大臣神社 |
三番 | 安井御境内 | 綱敷天神 | 「蓮華光院(安井門跡)」廃寺 安井金比羅宮末社 天満宮 |
四番 | 神泉苑内 | 天神 | 神泉苑内 「天満宮[1]」廃社 |
五番 | 吉祥院村 | 天神 | 吉祥院天満宮 |
六番 | 西七条 | 行衛天神 | 綱敷行衛天満宮
※ 昭和9年(1934)、行衛天満宮が綱敷天満宮と合併 |
七番 | 西七条 | 綱敷天神 | |
八番 | 壬生南門前 | 一夜天神 | 壬生寺 一夜天神堂 |
九番 | 松原通烏丸 西入玉津島 |
天神 | 新玉津嶋神社末社 天満宮 |
十番 | 下寺町 万年寺 |
紅梅天神 | 万年寺内 紅梅天神[2] |
十一番 | 吉田山 虚空蔵内 |
天神 | 「智福院[3]」廃寺? 吉田神社末社 竹中稲荷神社境内社 天満宮社 |
十二番 | 高台寺 | 綱敷天神 | 高台寺内 高台寺天満宮 |
十三番 | 岡崎 万願寺 |
文子天神 | 満願寺内 文子天満宮 |
十四番 | 六角堂内 | 天神 | 頂法寺(六角堂) 天満宮 |
十五番 | 丸太町河原町西入 | 菅家天神 | 「菅家天神[4]」廃社? |
十六番 | 釜座二条上ル | 飛梅天神 | 薬師院内 「飛梅天神[5]」廃社 |
十七番 | 粟田御境内 | 朝日天神 | 粟田神社末社 朝日天満宮 |
十八番 | 堀川通寺ノ内上ル | 水火天神 | 水火天満宮
※ 昭和27年(1952)、上天神町から現在地へ移転 |
十九番 | 七本松一条上ル | 河崎天神 | 清和院 天神堂 |
廿番 | 下立売かい川[6]西 | 御旅天神 | 御輿岡神社 |
廿一番 | 出町広小路上ル九間町[7] | 火除天神 | ★調査中 |
廿二番 | 御前通西裏筋 下立売上ル二丁目 |
安楽天神 | 北野天満宮末社 一之保神社(時鳥天神) [8] |
廿三番 | 高辻竹のずし | 匂天神 | 匂天神 |
廿四番 | 寺町錦 | 天神 | 錦天満宮 |
廿五番 | 北野御本社天満宮 | 北野天満宮 |
[1] | 「都名所図会(巻之一)」では神泉苑の境内に「天満宮」が描かれていますが、現在は見当たりません。 | |
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[2] | 「都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「万年寺の天満宮は長講堂の南にあり 初は間之町万年寺通の南にありしと也 旧地に紅梅の古木存せり」 | |
[3] | 「拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「智福院 神楽岡(=吉田山)の南にあり 開基弘法大師 本尊虚空蔵菩薩」 | |
[4] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。
「天満宮 丸太町通京極(=寺町)のひがし北側にあり 菅家高辻殿の御鎮守なり」
また「京都坊目誌(上京第十七學區之部)」P62春日尋常小學校の項に以下の記述があります。 「因に云ふ元高辻邸内に天滿宮の祠ありて菅神を祭る。學校となるに及び社殿を下御靈神社境内に移す。其後高辻子爵家より神靈を迎へ東京に遷す。」 wikipediaでは菅家天神の場所が下御霊神社内になっていますが、下御霊神社には元から下御霊天神があり、菅家天神は社殿を下御霊神社境内に移し、その後東京へ遷ったようです。 | |
[5] | 「都名所図会(巻之一)」では不来乎薬師の境内に「飛梅天神」が描かれていますが、現在は見当たりません。 | |
[6] | 「かい川」は現在の紙屋川(天神川)です。 | |
[7] | 現在の河原町通広小路上る西側九軒町と思われます。 | |
[8] | 廃仏毀釈によって神宮寺の安楽寺が廃寺となり、安楽寺天満宮は「一之保社」として北野天満宮内へ遷座されました。 その後、旧跡地には再び安楽寺天満宮(上京区北町)が創始されています。 |
更新日:2016/04/02