洛陽観音 洛陽観音廻り道之記 文化14年(1817)
洛陽観音廻り道之記
御詠歌并ニ道法(みちのり)
現在
壹番 六かくたう六かくからす丸 頂法寺(六角堂)
二番 長金寺ちやうきんじ寺町たこやくしの内 廃寺[1] /一言観音は誓願寺
※ 明治時代
三ばん 革堂かうだう寺町たけや丁 行願寺(革堂)
四ばん 下御霊しもごりやう同所 下御霊神社 /観音像は成円寺[2]
五ばん 新長谷寺しんはせでらよした山入口 新長谷寺
※ 明治時代、現在地へ移転
六ばん 吉傳寺きちでんしくろたに 「吉田寺」廃寺 /吉備観音は金戒光明寺
※ 寛文8年(1668)
七ばん 長樂寺ちやうらくしひかし山 長楽寺
八ばん 觀音くわんおん[3]下がわら 七観音院」廃寺?[4]
九ばん 青龍寺せいりやうしかうだいしのずし 青龍寺/伽羅観音
十ばん 地藏院ぢそういんきよ水さか 善光寺堂
十一ばん 清水きよみつ奥院おくのいん 清水寺 奥の院
十二ばん 本堂ほんだう 清水寺 本堂
十三ばん 同所朝倉堂あさくらだう 清水寺 朝倉堂
十四ばん 同所子安塔こやすのたう 泰産寺
※ 明治43年(1910)、仁王門前から現在地へ移築
十五 六波羅ろくはら松はら六道の西 六波羅蜜寺
十六 愛宕をたぎ松はら六はらの西 愛宕念仏寺/厄除千手観音
※ 大正11年(1922)、現在地へ移転
十七 大ぶつ三十三間堂けんだう 蓮華王院(三十三間堂)
十八 善能寺ぜんのうじせんゆうしの内 善能寺
十九 新熊いまくま同所 今熊野観音寺
二十 泉涌寺せんゆうじふしみかい道一ノはしの東 泉涌寺/楊貴妃観音
二十一 法性寺ほうしやうじふしみかいだう 法性寺
二十二 城興寺じやうこうじひがし九条 城興寺
廿三 食堂じきだうとうじの内 東寺
廿四 長圓寺ちやうゑんし松はら大みやにし 長円寺
廿五 音寺おんし松はら天しの西 一音寺
※ 平成2年(1990)以前に現在地へ移転[5]
廿六 正運寺しやううんしたこやくし大みや西 正運寺
廿七 觀音寺くわんおんじ七本松下立うり上ル 観音寺
廿八 西蓮寺さいれんし下立売あい■のすし[6]かど 西蓮寺
廿九 長宝寺ちやうほうじきたの大じやうぐん 廃寺[7] /観音像は成願寺[8]
※ 明治6年(1873)、神仏分離で三之保社として北野天満宮へ遷宮
三十 地藏院ぢぞういんかい川[9]のにし 地蔵院
三十一 觀音寺くわんをんじきたの 東向観音寺
三十二 天王寺てんわうしきたの 廃寺[10] /如意輪観音像は廬山寺
※ 明治7年(1874)、廬山寺と合併
卅三番 清和院せいわいん七本松一条 清和院/河崎観音[11]
[1]都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長金寺は誠心院の西向ひなり 一言堂といふ 本尊十一面観音は弘法の作」
[2]田中緑紅編の「京のおもかげ」(1931-1937年刊)の続篇下37に「成円寺に残る下御霊観音堂 (大宮蛸薬師成円寺)」の記録があり、 また成円寺の門前には「洛陽 三番正観音 六番地蔵尊 成圓寺」と書かれた石標があります。
[3]「寺」は原文通りです。
[4]七観音院は2018年に法人番号が更新されていますが、門や堂宇がすべて取り壊され、現在は更地になっています。
[5]昭和26年(1951)頃の京都を示した「京都市明細図」を見ると、五条天満宮(天使社)の西隣、下京区天神前町343に「一音寺」があり、 現在は跡地に平成3年(1991)8月完成のマンションが建っています。
伏見区深草谷口町にある真言宗醍醐派の一音寺が、天使山の山号をもつことから、移転先の同一寺院とみています。
[6]「あいあいのずし(相合図子)」のはずなんですが、■の1文字が読めません。
[7]拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長宝寺 大将軍の西にあり 本尊十一面観音は菅神の御作にて 」
[8]成願寺の長寳堂には「洛陽廿九番 長寳寺」の扁額が掲げられています。 なお、右京区花園艮北町5の成願寺(北野天満宮七保のひとつ七之保社)とは別の寺院です。
[9]紙屋川(正式名称は天神川)の旧称が柏川(かえがわ)または西堀河であり、「かい川」は紙屋川のことと思われます。
[10]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「金山天王寺は北野社東の門通にあり 天台宗にして本尊如意輪観音は聖徳太子の作なり」
[11]現在は九州国立博物館に寄託されています。

更新日:2020/02/05