洛陽観音 観音霊験記 文化11年(1814)

 この観音霊験記は、貞享4年(1687)刊の『西国洛陽三十三所観音霊験記』の版木を流用していることが報告されています。[1]

観音霊験記 現在
洛陽一番 角堂かくどう 頂法寺(六角堂)
洛陽二番 長金寺ちやうごんじ 廃寺[2] /一言観音は誓願寺
※ 明治時代
洛陽三番 下御霊しもごりやう 下御霊神社 /観音像は成円寺[3]
洛陽四番 革堂かうだう 行願寺(革堂)
洛陽五番 清和院せいわゐん 清和院/河崎観音[4]
洛陽六番 七觀音院しちくはんおんゐん 七観音院」廃寺?[5]
洛陽七番 新長谷寺しんはせてら 新長谷寺
※ 明治時代、現在地へ移転
洛陽八番 吉田寺きちでんじ 廃寺 /吉備観音は金戒光明寺
※ 寛文8年(1668)
洛陽九番 長樂寺ちやうらくじ 長楽寺
洛陽十番 青龍寺しやうりうし 青龍寺/伽羅観音
洛陽十一番 地藏院ぢざうゐん 善光寺堂
洛陽十二番 清水きよみつ奥院おくのゐん 清水寺 奥の院
洛陽十三番 清水きよみつ本堂ほんだう 清水寺 本堂
洛陽十四番 朝倉堂あさくらだう 清水寺 朝倉堂
洛陽十五番 泰産寺たいさんじ 泰産寺
※ 明治43年(1910)、仁王門前から現在地へ移築
洛陽十六番 六波羅寺ろくはらじ 六波羅蜜寺
洛陽十七番 愛宕寺おたきじ 愛宕念仏寺/厄除千手観音
※ 大正11年(1922)、現在地へ移転
洛陽十八番 蓮花王院れんげはうゐん 蓮華王院(三十三間堂)
洛陽十九番 善能寺ぜんのうじ 善能寺
洛陽二十番 今熊野いまくまの 今熊野観音寺
洛陽廿一番 泉涌寺せんゆうじ 泉涌寺/楊貴妃観音
洛陽廿二番 法性寺ほうしやうし 法性寺
洛陽廿三番 成興寺しやうかうし 城興寺
洛陽廿四番 東寺とうし食堂しきたう 東寺
洛陽廿五番 長圓寺ちやうゑんし 長円寺
洛陽廿六番 妙壽院みやうじゆゐん 一音寺[6]
※ 平成2年(1990)以前に現在地へ移転[7]
洛陽廿七番 照雲寺せううんし 正運寺
洛陽廿八番 觀音寺くわんおんじ 観音寺
洛陽廿九番 西蓮寺さいれんじ 西蓮寺
洛陽卅番 長寶寺ちやうぼうじ 廃寺[8] /観音像は成願寺[9]
※ 明治6年(1873)、神仏分離で三之保社として北野天満宮へ遷宮
洛陽卅一番 地藏堂ぢざうだう 地蔵院
洛陽卅二番 觀音寺くわんおんじ 東向観音寺
洛陽卅三番 天王寺てんわうじ 廃寺[10] /如意輪観音像は廬山寺
※ 明治7年(1874)、廬山寺と合併
[1]『西国洛陽三十三所観音霊験記』 観音霊験記研究会, 駒沢短大国文16, 1986年
[2]都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長金寺は誠心院の西向ひなり 一言堂といふ 本尊十一面観音は弘法の作」
[3]田中緑紅編の「京のおもかげ」(1931-1937年刊)の続篇下37に「成円寺に残る下御霊観音堂 (大宮蛸薬師成円寺)」の記録があり、 また成円寺の門前には「洛陽 三番正観音 六番地蔵尊 成圓寺」と書かれた石標があります。
[4]現在は九州国立博物館に寄託されています。
[5]七観音院は2018年に法人番号が更新されていますが、門や堂宇がすべて取り壊され、現在は更地になっています。
[6]他の古文書情報と所在地から、「妙寿院」=「一音寺」と推定しました。
[7]昭和26年(1951)頃の京都を示した「京都市明細図」を見ると、五条天満宮(天使社)の西隣、下京区天神前町343に「一音寺」があり、 現在は跡地に平成3年(1991)8月完成のマンションが建っています。
伏見区深草谷口町にある真言宗醍醐派の一音寺が、天使山の山号をもつことから、移転先の同一寺院とみています。
[8]拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長宝寺 大将軍の西にあり 本尊十一面観音は菅神の御作にて 」
[9]成願寺の長寳堂には「洛陽廿九番 長寳寺」の扁額が掲げられています。 なお、右京区花園艮北町5の成願寺(北野天満宮七保のひとつ七之保社)とは別の寺院です。
[10]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「金山天王寺は北野社東の門通にあり 天台宗にして本尊如意輪観音は聖徳太子の作なり」

更新日:2022/02/05