洛西三十三所 [1]

【別称】嵯峨三十三所

全国三十三カ所観音霊場
および全国八十八カ所霊場
ご詠歌集
全国ふるさと
三十三所巡礼辞典
現在
天保十三年、寛永などのご詠歌額(薬師寺、福田寺など)あり。 文政10年(1827)以前発願。 右京区
1 大悲閣
(千光寺)
西京区嵐山中尾下町六二 大悲閣千光寺 千光寺
2 立石地蔵尊? 右京区天龍寺前(確認できていない) 立石地蔵尊 立石地蔵尊
3 妙春菴 右京区嵯峨天龍寺北造路町五 妙春庵 妙春寺
4 不明 不明
5 不明 不明
6 不明 不明
7 念仏寺 右京区嵯峨鳥居本化野町一七
もと小倉山麓 宝性院の十一面観音
念仏寺 化野念仏寺
8 清凉寺
阿弥陀堂
右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町四六 清涼[2] 清凉寺 阿弥陀堂(棲霞寺)
9 不明 不明
10 不明 不明
11 薬師寺 右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町四六 清凉寺敷地内 薬師寺 薬師寺 
12 中院観音堂 右京区嵯峨中院町 中院観音堂 慈眼堂(中院観音)
13 ニ尊院 右京区嵯峨ニ尊院門前長神町二十七 ニ尊院 ニ尊院
14 不明 不明
15 不明 不明
16 証安院 右京区嵯峨ニ尊院門前善光寺山町二十二 証安院 證安院
17 不明 不明
18 観空寺観音堂 右京区嵯峨観空寺久保殿町 観空寺 観空寺
19 称念寺 右京区北嵯峨気比社町一〇 称念寺 称念寺
20 空覺菴 右京区嵯峨大沢登町[3](観音堂 町内集会所) 空覚庵 ★調査中
21 (遍照寺 右京区嵯峨広沢西裏町一四 ?) 遍照寺 遍照寺
22 宝樹寺 右京区嵯峨甲塚町一八 宝樹寺 宝樹寺
23 不明 不明
24 不明 不明
25 不明 不明
26 不明 不明
27 不明 不明
28 玉田(伝)寺 生田にあって高田町に移転、明治に廃寺 福田寺へ 玉田寺 「玉伝寺[4]」廃寺
※ 明治5年(1872)、福田寺と合併
29 福田寺 右京区嵯峨野高田町八 福田寺 福田寺
30 正定院観音堂
(円通堂)
右京区嵯峨朝日町 車折神社近傍 正定院 正定院
31 (宝寿寺??大津へ移転)札所だったか? 不明 ★調査中
32 徳林寺 右京区嵯峨中山町三九 徳林寺 徳林寺
33 柳鶯寺 正定院観音堂と同じお堂 柳鶯寺 「柳鶯寺」廃寺[5]
[1]現在は桂川の西側の地域を洛西と呼びますが、古くは桂川の東側の地域(現在の右京区嵯峨付近)を洛西と呼んでいました。 この霊場は、昭和53年(1978)に復活した「京都洛西観音霊場」とは別のものです。
一番千光寺には「天保十三年壬寅」(1842)と刻まれた御詠歌額や、本尊千手観世音菩薩の御詠歌と和讃を記したちらしが残されており、ご住職も洛西三十三所の霊場復活を考えているとのお話しでした。
[2]正しくは「凉」ですが、「涼」の表記も多くみられます。
[3]「嵯峨大沢登町」という町名はなく、「嵯峨大沢町」または「嵯峨大覚寺門前登リ町」の誤植ではないかと考えています。
[4]「京都市の地名」P1094の高田村の項に以下の記述があります。 「村の中心は字内街道(現嵯峨野高田町)で、高福寺・玉伝寺・福田寺・三ノ宮があった。明治初年、三寺とも浄土宗のため福田寺に合併。」
また、福田寺HP(閉鎖)に以下の記述がありました。 「明治5年に高田町中央にあった玉傳寺が廃寺になり、十一面観音および毘沙門天を当山に合祀し、当時の建物は改築され高田町会議所になっています。」
[5]柳鶯寺内で嵯峨天皇を祀っていた社が、柳鶯寺の廃寺後に車折神社の境内へ遷され、現在の地主(じぬし)神社となっています。

更新日:2017/12/31