三十三所観音 | 昭訓門院御産愚記 乾元2年(1303) |
昭訓門院御産愚記 | 現在 | ||
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1 | 知顯朝臣 | 丹後成相寺 | 28.成相寺 |
2 | 行景 | 近江觀音寺 | 32.観音正寺 |
3 | 淳淸朝臣 | 同袋懸 | 他.観音寺/袋かけ観音[1]
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4 | 定衡 | 同石山 | 13.石山寺 |
5 | 知經 | 丹波穴太 | 21.穴太寺 |
6 | 秀淸 | 法性寺觀音堂 | 洛.法性寺 |
7 | 靜眞 | 美濃谷波[2] | 33.華厳寺 |
8 | 邦行朝臣 | 紀伊國三井寺 | 2.紀三井寺 |
9 | 深忠 | 那智如意輪寺 | 1.青岸渡寺[3] |
10 | 知尚朝臣 | 和泉眞木尾 | 4.勝尾寺 |
11 | 俊澄 | 粉河寺 | 3.粉河寺 |
12 | 玄心 | 千手堂 御室戸 | 10.三室戸寺 |
13 | 時景 | 攝津國神呪寺 | 他.神呪寺 |
14 | 時景 | 乙訓吉峰寺 | 20.善峯寺 |
15 | 章繼 | 河崎 | 洛.「感応寺」廃寺 /河崎観音は清和院へ
※ 清和院に合併 |
16 | 章繼 | 中山 | 洛.「吉田寺[4]」廃寺 /吉備観音は金戒光明寺へ
※ 寛文8年(1668) |
17 | 章繼 | 長樂寺 | 洛.長楽寺 |
18 | 致光 | 播磨國淸水寺 | 25.清水寺 |
19 | 重友 | 興福寺南円堂 | 9.興福寺 南円堂 |
20 | 重友 | 同西金堂 | 他.興福寺 「西金堂」焼失
※ 享保2年(1717) |
21 | 時尚 | 勝尾寺 | 23.勝尾寺 |
22 | 時尚 | 惣持寺 攝津 | 22.総持寺 |
23 | 景長 | 淸水寺 | 16.清水寺 |
24 | 景長 | 六波羅 | 17.六波羅蜜寺 |
25 | 景長 | 六角堂 | 18.六角堂 |
26 | 良一 | 醍醐如意輪寺 | 11.醍醐寺 如意輪堂[5] |
27 | 良一 | 同石間 | 12.岩間寺 |
28 | 季景 | 東大寺法花堂 | 他.東大寺 法華堂(三月堂) |
29 | 季景 | 元興寺 | 他.元興寺 |
30 | 重茂 | 長谷寺 | 8.長谷寺 |
31 | 重茂 | 善蓋寺 大和 | 7.岡寺 |
32 | 師景 | 天王寺金堂 | 他.四天王寺 金堂 |
33 | 師景 | 河内國藤井寺 | 5.藤井寺 |
〔前書〕 今日仰家僕等、三十三所觀音靈所有御誦經事、諸大夫等定衡催之、侍等景長催之、且御産奉行所司也、法皇御方・女院御方兼帯也、 於本儀者、御經・燈油以下布等可具之、」委見廳文書、然而任近例、面〻以少分代錢可發遣由、仰沙汰之仁等了、 〔後書〕 以上其所〻先例不同、今度任建長元年支配宛之、今日必可發遣、於御巻數者、随到來可進上、且可依■■之行程之遠近之由仰了、 |
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注)寺院名の前の数字は現在の西国三十三所の札所番号、"洛"は洛陽三十三所の札所、"他"はその他の寺院。 |
[1] | 雨森観音寺は天正元年(1573)の兵火と明治12年(1879)の火災で焼失し、現在の観音像は明治14年(1881)本堂再建の際に延暦寺から遷されたものです。 脇手の一対を頭上で組み合わせその上に小座仏を戴く清水寺式千手観音像は、その姿が果樹の袋かけをする作業の手つきに似ていることから、「袋かけ観音」と呼ばれています。 |
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[2] | 「谷波」は「谷汲」の誤記または誤写ですが、原文のまま表記します。 |
[3] | 明治時代の廃仏毀釈の際、熊野三山のほとんどの仏堂が廃絶しましたが、熊野那智大社の如意輪堂だけは破壊を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興しました。 |
[4] | 吉田寺は金戒光明寺の西方の吉田中山にありました。 「吉備観音」は吉備真備が刻ませた千手観音で吉田寺の本尊でしたが、寛文8年(1668)に吉田寺が廃寺となり金戒光明寺へ移されました。 |
[5] | 醍醐寺は聖宝理源大師が上醍醐の山上に小堂宇を建立し准胝・如意輪の両観音像を安置したのに始まり、延喜7年(907)に醍醐天皇の勅願寺となってから准胝堂・如意輪堂・五大堂・薬師堂などが建立されました。 現在の札所は准胝堂ですが、同一とみなしました。 |
更新日:2014/10/11