船井郡西国三十三所 《郡東部》 |
【別称】丹波船井郡西国三十三所、船井郡三十三所、船井ごおり三十三所
全国三十三カ所観音霊場 および全国八十八カ所霊場ご詠歌集 |
全国ふるさと 三十三所巡礼辞典 |
現在 | ||
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「丹波船井郡西国三十三カ所霊場」昭和六十三年 園寿会編。 ア.船井郡西国三十三カ所 「園部探訪」一九八七年 誰により、何時開創されたかは不明。室町時代? | 室町期創設か。元禄年中(1688-1704)とも。貞享年記(1684-88)のご詠歌額あり。 | 南丹市・船井郡京丹波町 | ||
1 | 鴫尾山九品寺 | 船坂 | 九品寺 | 九品寺 |
2 | (ア.玉宝寺山) 玉宝山龍穏寺 |
仁江 | 龍穏(隠)寺 | 龍穏寺 |
3 | 熊田山観景寺 | 黒田 | 観景寺 | 観景寺 |
4 | 霊樹山玉雲寺 | 市森 | 玉雲寺 | 玉雲寺 |
5 | 高野山金剛寺 | 須知 | 金剛寺 | 金剛寺 |
6 | 西王寺 (ア.含宝寺) |
豊田 (ア.富田) |
含寶寺 | 廃寺[1]
※ 昭和41年(1966)、宇津木寺に合併 |
7 | 含宝寺 (ア.西王寺) |
富田 (ア.豊田) |
西王寺 | 廃寺[2]
※ 室町時代 |
8 | 雲晴山大福光寺 | 下山 | 大福光寺 | 大福光寺 |
9 | 秀林山龍沢寺 | 胡麻 | 龍澤寺 | 龍澤寺 |
10 | 音羽山清水寺 | 志和賀 | 清水寺 | 清水寺(廃寺)[3] |
11 | 大法山慈眼寺 | 船岡 | 慈眼寺 | 廃寺[4] |
12 | 千覺山来福寺 | 千妻 | 来福寺 | 廃寺[5] |
13 | 松谷山大蔵寺 | 曽我谷 | 大蔵寺 | 大蔵寺 |
14 | 玉子山神道寺 | 熊崎 | 神道寺 | 廃寺[6] ※ 明治維新の廃仏毀釈 |
15 | 白陽山[7]西林寺 | 内林 | 西林寺 | 西林寺 |
16 | 円通山万福寺 | 上木崎 | 萬福寺 | 万福寺[8] |
17 | 慈眼山西福寺 | 横田 | 西福寺 | 西福寺 |
18 | 白崖山南陽寺 | 美園町 | 南陽寺 | 南陽寺 |
19 | 別当延命院 | 美園町 | 延命院 | 廃寺[9] ※ 明治維新後の神仏分離 |
20 | 無量山福田寺 | 鳥羽 | 福田寺 | 福田寺 |
21 | 飯盛山西光寺 | 神田 | 西光寺 | 西光寺 |
22 | 大慈山普済寺 | 若森 | 普済寺 | 普済寺 |
23 | 本光山最福寺 | 埴生 | 最福寺 | 最福寺 |
24 | 万流山曹源寺 | 南八田 | 曹源寺 | 曹源寺 |
25 | 護国山神護寺 | 半田 | 神護寺 | 廃寺[10] ※ 明治時代の廃仏毀釈 |
26 | 岩谷山長徳寺 | 口人 | 長徳寺 | 長徳寺 |
27 | 松林山福安寺 | 室橋 | 福安寺 | 廃寺[11] |
28 | 観音寺 | 船枝 | 観音寺 | 廃寺[12] ※ 明治維新後の神仏分離 |
29 | 菩提山円福寺 | 熊原 | 圓福寺 | 廃寺[13] ※ 明治維新後の神仏分離 |
30 | 泉福寺 | 大戸 | 泉福寺 | 廃寺[14] |
31 | 如意山禅福寺 | 高屋 | 禅福寺 | 禅福寺 |
32 | 西林寺 | 越方 | 西林寺 | 「西林寺」廃寺? |
33 | 瑞光山玉泉寺 | 佐切 | 玉泉寺 | 廃寺[15] ※ 昭和後期? |
- | 浄香寺 | 温井 | − | 廃寺[16] |
[1] | 含宝寺の観音堂は宇津木寺の境内に移され残っています。 |
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[2] | 十一面観音像は西王寺跡地に建立された泉谷寺に安置されており、今も西王寺の観音像として祀られています。 |
[3] | 南丹市日吉町志和賀の清水寺跡地に観音堂が残されています。 |
[4] | 南丹市園部町船岡の慈眼寺跡地に御堂が残されています。 |
[5] | 「寺社類集(1740)」巻之二の下妻村の項に以下の記述があります。
「観音堂 二間半ニ三間半 號千光山來福寺 未考其開基来由」
南丹市園部町千妻の来福寺跡地に観音堂が残されています。 |
[6] | 神道寺は熊野神社(現・都々古和気神社:南丹市園部町熊崎)の神宮寺でした。
「寺社類集(1740)」巻之二の熊崎村の熊野三所権現の項に以下の記述があります。 「宮寺禅宗徳雲寺末真言宗之社僧借住 王子山神道寺 三間半ニ五間半 開基開山未考之 寛永年中請於徳雲寺十世長黁和尚而為中興開山」 |
[7] | 「白」は「向」の誤植と思われますが、原文のまま表記します。 |
[8] | 明治時代の神仏分離後に廃寺となったようですが、現在は泉涌寺の末寺になっています。 |
[9] | 延命院は生身(いきみ)天満宮(南丹市園部町美園町)の神宮寺で、延命院福量寺という真言宗寺院でした。 神仏分離後、延命院は生身天満宮摂社の秋葉愛宕神社となり、残った旧聖天堂が観音堂を兼ねています。 |
[10] | 「寺社類集(1740)」巻之四の西半田村の項に以下の記述があります。
「右同(=禅宗下新江村龍穏寺)末 護谷山神護寺 園部町商売八文字屋四郎太夫開基之 年号未考 以龍穏寺九世月心和尚為開山」
南丹市園部町半田の神護寺跡地に奥西観音堂が残されています。 |
[11] | 「寺社類集(1740)」巻之二の室橋村の項に以下の記述があります。
「禅宗如城寺末 松林山福安寺 開基開山未考之」
南丹市八木町室橋の福安寺跡地に観音堂が残されています。 |
[12] | 観音寺は船井神社(南丹市八木町船枝才ノ上)の神宮寺でした。 観音堂が京都帝釈天の境内へ移され残っています。 |
[13] | 「寺社類集(1740)」巻之二の熊原村の項に以下の記述があります。
「観音堂 二間四面 号菩提山圓福寺 蓋古跡也 其開基未考」
円福寺は太神宮社(現・大神神社:南丹市園部町熊原)の神宮寺でした。 観音堂が大神神社から少し離れたところに残されています。 |
[14] | 南丹市園部町大戸の泉福寺跡地に薬師堂が残されています。 |
[15] | 南丹市園部町佐切の玉泉寺跡地に本堂が残されています。 |
[16] | 浄香寺は三輪神社(南丹市園部町横田)の神宮寺でした。 観音堂が三輪神社の隣に残されています。 |
更新日:2015/12/05