和知西国三十三所 |
全国三十三カ所観音霊場 および全国八十八カ所霊場ご詠歌集 |
全国ふるさと 三十三所巡礼辞典 |
現在 | ||
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『こころのふるさと和知西国札所案内記』。 | 江戸期。昭和期再編復興。 | 船井郡京丹波町 | ||
1 | 月中山甘露寺 | 甘露寺 | 甘露寺 | |
千手千眼観世音菩薩 | 升谷 | |||
2 | 慈眼山宝林寺 | 寶林寺 | 宝林寺 | |
如意輪観世音菩薩 | 中山 | |||
3 | 高貴山龍福寺 | 龍福寺観音堂 | 竜福寺 | |
如意輪観世音菩薩 | 小畑 | |||
4 | 亀殻山龍心寺 | 龍心寺 | 竜心寺 | |
千手千眼観世音菩薩 | 安栖里 | |||
5 | 東現寺 | 東現寺 | ★調査中[1] | |
如意輪観世音菩薩 | 稲次 | |||
6 | 妙行山長源寺 | 長源寺 | 長源寺 | |
十一面観世音菩薩 | 出野 | |||
7 | 観音堂(長源寺境内) | 長源寺観音堂 | 長源寺 | |
聖観世音菩薩 | 出野 | |||
8 | 草尾観音堂 | 草尾観音堂 | ★調査中 | |
三十三仏躯石仏 | 広野 | |||
9 | 珠光山大龍寺 | 大龍寺 | 「大龍寺[2]」廃寺
※ 明治44年(1911)、長源寺に合併 |
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聖観世音菩薩 | 大簾 | |||
10 | 観音堂 | 大成観音堂 | 観音堂[3] | |
聖観世音菩薩 | 大成 | |||
11 | 洞岳山曹禅寺 | 曹禅寺 | 曹禅寺 | |
聖観世音菩薩 | 才原 | |||
12 | 万年山福昌寺 | 福昌寺 | 福昌寺 | |
千手千眼観世音菩薩 | 広瀬 | |||
13 | 打越堂(福昌寺) | 打越堂 | 福昌寺 | |
聖観世音菩薩 | 広瀬 | |||
14 | 釈迦堂 | 釈迦堂 | ★調査中[1] | |
釈迦牟尼如来 | 角 | |||
15 | 普天山瑞祥寺(現東寓寺) | 瑞祥寺 | 「瑞祥寺[5]」廃寺? 東寓寺 |
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準胝観世音菩薩[4] | 中 | |||
16 | 月桂山太虚寺 | 太虚寺 | 太虚寺 | |
聖観世音菩薩 | 本庄 | |||
17 | 庄元寺(太虚寺の観音堂) | 庄元寺 | ★調査中 | |
聖観世音菩薩 | 本庄 | |||
18 | 里の堂(太虚寺の観音堂) | 里の堂(太虚寺) | ★調査中 | |
聖観世音菩薩 | 本庄 | |||
19 | 仏恵山善入寺 | 善入寺 | 善入寺 | |
聖観世音菩薩 | 大倉 | |||
20 | 薬師堂 | 薬師堂 | ★調査中 | |
薬師如来 | 市場 | |||
21 | 香井山泉明寺 | 泉明寺 | ★調査中 | |
千手千眼観世音菩薩 | 篠原 | |||
22 | 日輪山東月寺 | 東月寺 | 東月寺 | |
聖観世音菩薩 | 篠原 | |||
23 | 西川山東福寺 | 東福寺 | 東福寺観音堂 | |
阿弥陀如来 | 西河内 | |||
24 | 寿命山明隆寺 | 明隆寺 | 明隆寺観音堂 | |
聖観世音菩薩 | 大粟野[6] | |||
25 | 恵日山西光寺 | 西光寺 | 西光寺 | |
聖観世音菩薩 | 細谷 | |||
26 | 光白山池本寺 | 池本寺 | 清水池ノ堂[8] | |
聖観世音菩薩 | 上粟野 | |||
27 | 発心山日圓寺 | 日圓寺 | 日円寺薬師堂 | |
薬師如来 | 仏主[7] | |||
28 | 長老山昌福寺 | 昌福寺 | 昌福寺 | |
釈迦牟尼如来 | 細谷 | |||
29 | 仏光寺(西光寺に合祀) | 佛光寺 | 仏光寺[9] | |
阿弥陀如来 | 細谷 | |||
30 | 熊林山大福寺(辻の堂) | 大福寺 | 「大福寺[10]」廃寺? | |
弘法大師 | 上乙見 | |||
31 | 大白山祥雲寺 | 祥雲寺 | 祥雲寺 | |
如意輪観世音菩薩 | 大迫 | |||
32 | 塩谷山常徳寺(観音堂) | 常徳寺 | ★調査中[11] | |
聖観世音菩薩 | 塩谷 | |||
33 | 安野山長泉寺 | 長泉寺 | 長泉寺 | |
聖観世音菩薩 | 長瀬 | |||
- | 養隆山瑠璃光寺 | − | 瑠璃光寺薬師堂 | |
薬師如来 | 西河内 | |||
- | 源昌寺(奥の院) | − | 「源昌寺[12]」廃寺 | |
阿弥陀如来 | 坂原 |
[1] | 「和知町誌 第一巻」によれば、稲次・東現寺と角・釈迦堂の宝篋印塔が残されています。 |
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[2] | 明治40年(1907)の水害で堂宇が倒壊し、観音像は所在不明となりました。 そして廃寺後、建物は曹洞宗高浄寺に移転され、残る仏像は大簾の地蔵堂に遷されました。 |
[3] | 京丹波町広野中大成(おおなる)は過疎化により離村した集落跡で、そこに観音堂だけが残されているようです。 |
[4] | 通常は「准胝」ですが、「準胝」の表記も使われていたようです。 |
[5] | 「船井郡誌(1915)」P303〜304❐に龍穏寺末の瑞祥寺(下和知村大字中)と東寓寺(下和知村大字中)が記されています。 |
[6] | 「下粟野」の誤植と思われますが、原文通り「大粟野」と表記します。 |
[7] | 仏主(ほどす)地区の南東にある長老ヶ岳には100近い寺院があったと伝えられています。 これらの寺院の衰退(焼き討ち説も)とともに多くの仏像が運び降ろされ、そこから「仏住」の地名が生まれ、のちに「仏主」になったといわれています。 |
[8] | 昭和22年(1947)の大火で本尊・堂宇ともに焼失し、直後に里人が小さなお堂を造り菩薩像の鋳造仏を安置しました。 現在のお堂は昭和45年(1970)に老人会が建立したものです。 |
[9] | 1つのお堂に「西光寺」と「仏光寺」の両方の額が掲げられ、2つの寺院が同居しています。 |
[10] | 上乙見公民館の近くに御堂のみが残っており、昭和52年(1977)に移転または廃寺の可能性があります。 |
[11] | 「船井郡誌(1915)」P294❐に大字塩谷の観音堂が記されていますが、その本尊は十一面観世音になっており、情報が一致しません。 |
[12] | 西光山源昌寺は真言宗の寺院で、船井郡京丹波町坂原森ノワキの阿上三所(あじょうさんしょ)神社の神宮寺でしたが、火災で焼失しました。 |
更新日:2022/02/06