丹後西国三十三所 ≪江戸中期≫

【別称】丹後一国三十三所、当国中順禮三十三所

全国ふるさと三十三所巡礼辞典 現在
元文4年(1739)、「丹後」札所の廃絶寺院を改め再興、ご詠歌を改める「丹後一国三十三所巡禮記」元文4年(1739)。 宮津市・与謝郡伊根町・与謝郡与謝野町・京丹後市・福知山市・舞鶴市
1 成相寺 成相寺
2 慈眼寺 慈眼寺
3 正法寺 正法寺
4 泊隣寺 廃寺[1]
※ 昭和15年(1940)閉山、振宗寺に移管
5 来迎寺 来迎寺
6 恩教寺 廃寺[2]
7 上山寺 上山寺
8 川窪寺 廃寺[3]
9 神宮寺(金谷寺) 「金谷寺[3][4]」廃寺
10 生蓮寺(等楽寺) 「生蓮寺[5]」廃寺 /高原観音堂?
11 興法寺 興法寺
12 雄阪寺(徳運寺) 「尾坂寺[6]」廃寺 /観音像は徳運寺
13 縁城寺 縁城寺
14 大悲寺(大慈寺) 大慈寺
15 龍献寺 竜献寺
16 薬王寺 中性院[7]
17 如意寺 如意寺
※ 昭和39年(1964)、現在地へ移転
18 笛原寺 笛原寺
19 禅定寺 禅定寺
20 雲厳寺 雲岩庵
21 文殊觀音堂(智恩寺) 智恩寺
22 如願寺 如願寺
23 慈眼寺 ★調査中
24 室谷観音院 観音寺
25 普門寺 普門寺
26 圓隆寺 円隆寺
27 満願寺 満願寺[8]
28 水清寺 仁寿寺
29 天臺寺 天台寺
30 金剛院 金剛院
31 田根寺(多福寺[9] 多禰寺
32 観音寺 観音寺
33 松尾寺 松尾寺
[1]「与謝郡誌(1923)」P223の德來山泊隣寺の項に以下の記述があります。 「朝妻村字六万部(=現・与謝郡伊根町六万部)、本尊地藏菩薩、天文八年亥八月振宗寺三世南渓宗梅和尚開基創建享保七年再興安政四年修補。」
[2]「与謝郡誌(1923)」P1071の恩教寺趾の項に以下の記述があります。 「筒川村字野村小字寺領(=現・与謝郡伊根町野村)の北野にあり・・・。何時廃たるや詳かならず今僅かに観音堂一宇あり・・・」
[3]「与謝郡誌(1923)」P226の寶珠山延命寺の項に以下の記述があり、延命寺に併合されたと思われます。 「野間村字野中(=現・京丹後市弥栄町野中)、・・・。境外佛堂中山の金谷寺、川久保の川窪寺田中の親子地藏あり。」
[4]「与謝郡誌(1923)」P1073の金谷寺(きんこくじ)及び小金山(おがねさん)の項に以下の記述があります。 「野間村字野中(=現・京丹後市弥栄町野中)の支郷なる中山に廢殘の草堂ありて觀音を祀る。聞説く往昔小金山胎藏大権現(=小金山神社)の別當にて眞言宗に属し小金山金谷寺と號せり。・・・因みに云う金谷寺今同村中津延命寺の境外佛堂たり。」
小金山は「おおがねさん」と通称され、金儲けの神として多くの参詣者を集めたそうです。
[5]高原山生蓮寺は金剛童子山中腹の京丹後市弥栄町等楽寺高原(昭和42年(1967)廃村)にありました。 現在、等楽寺前にある高原観音堂が生蓮寺跡から移されたものと考えられます。
[6]鷲尾山尾坂寺は尾坂山の山頂からやや下った京丹後市網野町尾坂にありましたが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風の被害で尾坂地区の離村が進み、昭和38年(1963)に本尊の観音像と薬師如来像が徳運寺へ遷されました。 昭和39年(1964)に尾坂の全戸が離村、残されていた尾坂観音堂も昭和45年(1970)の豪雪で倒壊しました。
[7]無檀家の薬王寺は、明治5年(1872)に迎接寺(こうじょうじ)(現・遍照寺)塔頭の中性院を移したことにして、廃絶を免れました。
[8]寺名は「満」願寺ですが、地名は「万」願寺と書き、京野菜で有名な万願寺とうがらしの発祥の地です。
[9]「多福寺」は「多禰寺」の誤植と思われますが、原文のまま表記します。

更新日:2014/09/23