城南近在三十三所 | 城南近在三十三所観音巡拝札所 成立年未詳 |
「城南近在三十三所観音巡拝札所」額 | 現在 | ||
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第一番 | 久御山町坊ノ池 | 観音寺[1] | 観音寺 |
第二番 | 久御山町北川顔 | 極楽寺[1] | 極楽寺 |
第三番 | 伏見区淀新町 | 長円寺 | 長円寺 |
第四番 | 伏見区淀池上 | 光明寺 | 廃寺[2]
※ 長円寺に合併 |
第五番 | 伏見区淀水垂 | 常念寺 | 常念寺 |
第六番 | 伏見区淀美豆 | 円通寺 | 円通寺 |
第七番 | 伏見区淀美豆 | 西岸寺 | 西岸寺 |
第八番 | 伏見区淀際目 | 西光寺 | ★調査中 |
第九番 | 八幡市宿居 | 大乘院 | 廃寺[3]
※ 明治2年(1869)? |
第十番 | 八幡市太子坂[4] | 師前観音堂[5] | 「護国寺 観音堂[6]」廃寺 |
第十一番 | 八幡市山路町 | 念佛寺 | 念仏寺 |
第十二番 | 八幡市山路町 | 正福寺 | 正福寺 |
第十三番 | 八幡市森ノ町 | 観音寺 | ★調査中 |
第十四番 | 伏見区淀生津 | 東光寺 | 東向寺 |
第十五番 | 久御山町江口 | 観音院[1] | 廃寺 |
第十六番 | 久御山町田井 | 専念寺[1] | 専念寺 |
第十七番 | 久御山町佐古 | 称名寺[1] | 称名寺 |
第十八番 | 久御山町佐山 | 浄安寺[1] | 浄安寺 |
第十九番 | 久御山町林 | 西林寺[1] | 西林寺 |
第二十番 | 宇治市大久保 | 瑞泉寺[7] | 瑞泉寺 |
第二十一番 | 宇治市大久保 | 慈尊院[7] | 廃寺?[8] |
第二十二番 | 城陽市寺田乾城 | 西照寺[9] | 廃寺[10] /観音像は乾城集会所へ |
第二十三番 | 城陽市寺田乾城 | 長光寺[9] | 長光寺 |
第二十四番 | 城陽市寺田 | 三縁寺[9] | 三縁寺 |
第二十五番 | 城陽市寺田 | 高岳寺[9] | 高岳寺 |
第二十六番 | 城陽市寺田 | 念佛寺[9] | 念仏寺 |
第二十七番 | 城陽市観音堂 | 観音堂[9] | 廃寺[11] /観音像は三縁寺へ |
第二十八番 | 宇治市新田[12] | 円藏院[7] | 圓蔵院 |
第二十九番 | 宇治市羽拍子 | 法成寺[7] | ★調査中 |
第三十番 | 宇治市小倉町 | 観音寺[7] | 観音寺 |
第三十一番 | 宇治市伊勢田町 | 来迎寺[7] | 来迎寺 |
第三十二番 | 宇治市東一口 | 安養寺[1] | 安養寺 |
第三十三番 | 久御山町中島 | 華台寺[1] | 華台寺 |
[1] | 「京都府の地名」P190の久世郡の項に以下の記載があります。 「江戸中期、久世郡を中心に信仰されたものに、城南近在三十三所観音巡拝がある。 観音寺(一番、坊之池)・極楽寺(二番、北川顔)・観音院(廃、一五番、江ノ口)・専念寺(一六番、田井)・称名寺(一七番、佐古)・浄安寺(一八番、佐山)・西林寺(一九番、林)・安養寺(三二番、東一口)・華台寺(三三番、中島)が現郡内にあった。」 |
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[2] | 鳥羽伏見の戦いで亡くなった東軍将兵を埋葬していましたが、廃寺のため墓石や石碑は長円寺へ移されました。 跡地には「戊辰役東軍戦死者埋骨地」碑と「供養地蔵尊」が建てられています。 |
[3] | 大乗院は石清水八幡宮の神宮寺で下院にありましたが、鳥羽伏見の戦いで焼失しました。五輪塔が善法律寺に移され残っています。 |
[4] | 石清水八幡宮の裏参道の坂道が古来「太子坂(奉行坂)」と呼ばれていました。 |
[5] | 他の文献情報から、「薬師前」の「薬」が欠落していると推測しています。 |
[6] | 「都名所図会(巻之五)」では石清水八幡宮境内の薬師堂前に「観音堂」が描かれています。 |
[7] | 「宇治市史 第3巻(1974)」P466に以下の記述があります。 「その結願寺は御牧の花台寺であるが、そのなかに含まれている宇治市内の寺院は、第二十番大久保村瑞泉寺 第二十一番同村慈尊院 第二十八番新田町円蔵院 第二十九番羽拍子法成寺 第三十番小倉村観音寺 第三十一番伊勢田村来迎寺の六ヵ寺で、・・・」 |
[8] | 宇治市大久保町上ノ山にあった真言宗智山派・成田山慈尊院は、1954年に別宗派の寺を引き継いで設立されたそうで、恐らくここが慈尊院の後継寺院と思われます。 成田山慈尊院は成田山新勝寺(千葉県成田市)の末寺で、交通安全祈願の寺として知られていましたが、元住職の借金のため競売にかけられ、2006年に建物が解体されてしまいました。 |
[9] | 「城陽市史 第2巻(1979)」P821の城南近在巡拝札所の項に以下の記述があります。 「城陽市内の寺院では、廿二番 寺田村イヌイ庄(ママ) 西照寺 廿三番 同村 長光寺 廿四番 同村 三縁寺 廿五番 同村 高岳寺 廿六番 同村 念仏寺 廿七番 同夜叉 観音堂 となっている。」 |
[10] | 「城陽市史 第2巻(1979)」P399-402の旧寺田村西照寺の項の説明によれば、明治5年(1872)に西照寺が廃寺となった後も住民が西照寺を守り続け、今は同じ場所に建てられた乾城集会所(城陽市寺田乾出北29)の仏間に観音菩薩像他の仏像が安置されています。 |
[11] | Web情報❐によれば、「夜叉婆さん伝説」がある城陽市寺田の旧奈良街道の辻(水度坂、高田、袋尻の境界線上)付近に観音寺がありました。
夜叉観音や夜叉観音寺とも呼ばれていましたが、明治13年(1880)に廃寺となり、乾漆造りの観音像は三縁寺に預けられました。
明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、知恩寺の又末寺、三縁寺の末寺として寺田村の「観音寺」が記されています。 |
[12] | JR新田駅のある宇治市広野は、かつて大久保新田、広野新田村、広野村などと呼ばれていました。 |
更新日:2023/05/30