南山城三十三所 企画展資料『南山城三十三所巡礼』
原典:如月会調査資料 (1996)

 貞享(1684-88)の頃、東光寺の如範により発願開創されましたが、その後廃れ、天保6年(1835)に復興されました。

企画展資料『南山城三十三所巡礼』 現在
寺院名 存廃 所在地 備考
1 海住山寺 現存 加茂町例幣海住山 海住山寺
2 老宿坊 現存 加茂町例幣海住山 海住山寺奥の院 海住山寺 奥の院
3 燈明寺 廃寺 加茂町兎並寺山 京都仏教美術保存財団管理 廃寺[1]
4 常念寺 現存 加茂町里小田 常念寺
5 観音寺 廃寺 加茂町観音寺 地蔵院、常念寺に移る 廃寺
※ 元禄時代?
6 浄勝寺 廃寺 木津町鹿背山鹿曲田 旧地は鹿背山会館。西念寺に移る 廃寺[2] /観音像は西念寺
※ 明治5年(1872)
7 誓願寺 現存 木津町木津宮の堀 誓願寺
8 観音堂 廃寺 木津町木津清水 惣墓五輪塔付近 「木津観音堂」廃絶[3]
9 観音堂 現存 木津町市坂幣羅坂 ゆるぎ観音 動観音堂
10 法泉寺 現存 木津町相楽才の神 法泉寺
11 禅福寺 現存 精華町祝園国友 禅福寺
12 願成寺 廃寺 精華町南稲八妻 蓮台寺に移る 廃寺 /観音像は蓮台寺
※ 明治7年(1874)
13 観音寺 現存 精華町北稲八間焼山 旧地は集会所。岡本寺跡に移転 観音寺
※ 明治4年(1871)、現在地へ移転[4]
14 岡本寺 廃寺 精華町北稲八間焼山 現在の観音寺 廃寺 /観音像は観音寺
※ 明治初年
15 神宮寺 廃寺 精華町下狛長芝 旧地は鞍岡神社境内 廃寺[5]
16 若王寺 現存 精華町下狛林前 若王寺
17 長福寺 廃寺 精華町菱田 旧地は集会所。西方寺に移る 廃寺[6] /観音像は西方寺
18 観音堂 現存 田辺町宮津白山 西念寺の堂 法雲寺[7]
19 恵日寺 廃寺 田辺町宮津佐牙垣内 旧地は佐牙神社境内。寿宝寺等に移る 廃寺[8] /観音像は寿宝寺
20 念仏寺 現存 田辺町三山木南垣内 疣観音 念仏寺
21 観音寺 現存 田辺町普賢寺下大門 普賢寺大御堂 観音寺
22 観音寺 廃寺 田辺町興戸宮前 旧地は酒屋神社境内。寿命寺に移る 廃寺[9] /観音像は寿命寺
23 日光寺 現存 田辺町三山木天神山 日光寺
24 蓮華寺 廃寺 田辺町飯岡 現在茶畑 廃寺[10]
※ 明治8年(1875)、寿宝寺に合併
25 東福寺 廃寺 井手町水無 西福寺に移る 廃寺[11] /観音像は西福寺
※ 明治5年(1872)
26 栄福寺 廃寺 井手町上井手 旧地は玉津岡神社境内。地蔵院に移る 廃寺[12] /観音像は地蔵院
27 観音寺 廃寺 井手町石垣 旧地不明 廃寺[13] /観音像は西福寺
※ 明治6年(1873)
28 観音堂 現存 山城町綺田柏谷 国見観音 国見観音堂[14]
29 蟹満寺 現存 山城町綺田浜 蟹満寺
30 福王寺 廃寺 山城町平尾 十輪寺に移る 廃寺[15] /観音像は十輪寺
31 蔵王堂 現存 山城町神童子不晴谷 神童寺のこと 神童寺
32 伝興寺 廃寺 山城町椿井松尾 旧地は松尾神社境内 廃寺[16]
33 泉橋寺 現存 山城町上狛西下 泉橋寺
[1]燈明寺は木津川市加茂町兎並(うなみ)寺山の御霊神社(燈明寺の鎮守)横にあった日蓮宗の寺院で、本堂と三重塔は大正時代に横浜市の三渓園に移築されて現存しています。 江戸時代に宗派が変わった際に東明寺から燈明寺に改名されたようです。
[2]明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、真言宗古義派の無本寺として鹿背(山)村の「浄勝寺(無住)」が記されてます。
[3]木津川市木津清水の木津惣墓(そうばか)五輪塔付近にあった長福寺(現・木津川市木津大谷)の観音堂と考えられています。 五輪塔脇にある長谷寺式十一面観音石仏を観音堂本尊とみる意見もあるようです。
[4]元は現在の北稲八間集会所の場所にありましたが、明治時代に寺が当時の役場となり境内に小学校が建てられることになったため、廃寺となっていた岡本寺跡に移転しました。
[5]精華町HPの情報によれば、神宮寺は相楽郡精華町下狛長芝にある鞍岡神社の3つあった神宮寺のうちのひとつでした。 神宮寺の本尊だったと思われる十一面観音坐像は若王寺の大師堂に安置されています。
[6]長福寺は相楽郡精華町菱田十ノ坪にあった寺院で、跡地は菱田集会所になっています。
[7]白山神社の神宮寺だった法雲寺が明治初年の神仏分離で廃寺となり、その遺仏が西念寺に移されました。 西念寺は平成27年(2015)1月に本堂を建て替えて法雲寺と改称。6月には35年ぶりに十一面観音立像が寄託先の京都国立博物館から戻り、本堂に本尊として祀られています。
[8]「田辺町近代誌(1987)」P780の恵日寺の項に、京田辺市宮津佐牙垣内にある佐牙(さが)神社の神宮寺だった恵日寺が明治初年の神仏分離で廃寺となり、寺宝は寿宝寺と正福寺へ移されたことが記されています。
[9]観音寺は京田辺市興戸にある酒屋神社の神宮寺でしたが、神仏分離により明治初年に廃寺となりました。
[10]「田辺町近代誌(1987)」P777-780の蓮華寺の項に、明治8年(1875)2月に寿宝寺と合併して廃寺となり、寺宝は寿宝寺と阿弥陀寺(飯岡)へ移されたことが記されています。
[11]東福寺は綴喜郡井手町井手玉ノ井にあった寺院で、跡地は玉川保育園になっています。 (参考:井手町議会だより第46号) 明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、真言宗古義派勧修寺の末寺である西福寺末として井出(手)村の「東福寺(無住)」が記されています。 現在、旧東福寺の本尊だった薬師如来座像は西福寺に安置されています。
[12]栄福寺は綴喜郡井手町井手東垣内の玉津岡神社境内にあった寺院です。 (参考:井手町議会だより第46号
[13]西福寺の旧HPには旧観音寺の観音菩薩像のことが書かれていたのですが、、、新HPには見当たりません。 明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、真言宗古義派の無本寺として石垣の「観音寺(無住)」が記されています。
[14]木津川市山城町綺田周辺にあった光明山寺塔頭の遺仏といわれる観音菩薩立像が安置されています。
[15]福王寺は涌出宮(木津川市山城町平尾里屋敷)の東100mほどのところにあったとされていますが、正確な位置は不明です。 明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、真言宗古義派の無本寺として平尾村の「福王寺(無住)」が記されています。
[16]木津川市山城町椿井松尾にある松尾神社の神宮寺で、松尾山角之坊伝興寺という名の真言宗の寺院でした。

更新日:2019/06/09