城南近在三十三所
全国ふるさと三十三所巡礼辞典 現在
文政8年(1825)、「33華台寺」12世聖誉上人発願。浄土宗寺院で構成。江戸後期一時的に巡拝。 久世郡久御山町・伏見区・八幡市・宇治市・城陽市
1 観音寺[1] 観音寺
2 極楽寺[1] 極楽寺
3 長圓寺 長円寺
4 光明寺 「光明寺(伏見区淀池上)」廃寺[2]
長円寺に合併
5 常念寺 常念寺
6 圓通寺 円通寺
7 西岸寺 西岸寺
8 西光寺 (伏見区淀際目)★調査中[3]
9 大乗院 廃寺[4]
※ 明治2年(1869)?
10 薬師前観音堂 「護国寺 観音堂」廃寺[5]
11 念佛寺 念仏寺
12 正福寺 正福寺
13 観音寺 ★調査中
14 東光(向)寺 東向寺
15 観音院[1] 「観音院(久御山町島田江ノ口)」廃寺
16 専念寺[1] 専念寺
17 称名寺[1] 称名寺
18 浄安寺[1] 浄安寺
19 西林寺[1] 西林寺
20 瑞泉寺[10] 瑞泉寺
21 慈尊院[10] 廃寺?[6]
22 西照寺[7] 廃寺[8] /観音像は乾城集会所へ
23 長光寺[7] 長光寺
24 三縁寺[7] 三縁寺
25 高岳寺[7] 高岳寺
26 念仏寺[7] 念仏寺
27 観音寺[7] 廃寺[9] /観音像は三縁寺
28 圓蔵院[10] 圓蔵院
29 法成寺[10] ★調査中
30 観音寺[10] 観音寺
31 来迎寺[10] 来迎寺
32 安養寺[1] 安養寺
33 華(花)台寺[1] 華台寺
[1]「京都府の地名」P190の久世郡の項に以下の記載があります。 「江戸中期、久世郡を中心に信仰されたものに、城南近在三十三所観音巡拝がある。 観音寺(一番、坊之池)・極楽寺(二番、北川顔)・観音院(廃、一五番、江ノ口)・専念寺(一六番、田井)・称名寺(一七番、佐古)・浄安寺(一八番、佐山)・西林寺(一九番、林)・安養寺(三二番、東一口)・華台寺(三三番、中島)が現郡内にあった。」
[2]鳥羽伏見の戦いで亡くなった東軍将兵を埋葬していましたが、廃寺のため墓石や石碑は長円寺へ移されました。 跡地には「戊辰役東軍戦死者埋骨地」碑と「供養地蔵尊」が建てられています。
[3]八幡市内に西光寺が2ヶ所ありますが、淀際目とするWeb情報に従いました。
[4]大乗院は石清水八幡宮の神宮寺で下院にありましたが、鳥羽伏見の戦いで焼失しました。五輪塔が善法律寺に移され残っています。
[5]「薬師」は石清水八幡の薬師堂(=護国寺)を指すと考えています。 「都名所図会(巻之五)」では石清水八幡宮境内の薬師堂前に「観音堂」が描かれています。
[6]宇治市大久保町上ノ山にあった真言宗智山派・成田山慈尊院は、1954年に別宗派の寺を引き継いで設立されたそうで、恐らくここが慈尊院の後継寺院と思われます。 成田山慈尊院は成田山新勝寺(千葉県成田市)の末寺で、交通安全祈願の寺として知られていましたが、元住職の借金のため競売にかけられ、2006年に建物が解体されてしまいました。
[7]「城陽市史 第2巻(1979)」P821の城南近在巡拝札所の項に以下の記述があります。 「城陽市内の寺院では、廿二番 寺田村イヌイ庄(ママ) 西照寺 廿三番 同村 長光寺 廿四番 同村 三縁寺 廿五番 同村 高岳寺 廿六番 同村 念仏寺 廿七番 同夜叉 観音堂 となっている。」
[8]「城陽市史 第2巻(1979)」P399-402の旧寺田村西照寺の項の説明によれば、明治5年(1872)に西照寺が廃寺となった後も住民が西照寺を守り続け、今は同じ場所に建てられた乾城集会所(城陽市寺田乾出北29)の仏間に観音菩薩像他の仏像が安置されています。
[9]Web情報によれば、「夜叉婆さん伝説」がある城陽市寺田の旧奈良街道の辻(水度坂、高田、袋尻の境界線上)付近に観音寺がありました。 夜叉観音や夜叉観音寺とも呼ばれていましたが、明治13年(1880)に廃寺となり、乾漆造りの観音像は三縁寺に預けられました。
明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、知恩寺の又末寺、三縁寺の末寺として寺田村の「観音寺」が記されています。
[10]「宇治市史 第3巻(1974)」P466に以下の記述があります。 「その結願寺は御牧の花台寺であるが、そのなかに含まれている宇治市内の寺院は、第二十番大久保村瑞泉寺 第二十一番同村慈尊院 第二十八番新田町円蔵院 第二十九番羽拍子法成寺 第三十番小倉村観音寺 第三十一番伊勢田村来迎寺の六ヵ寺で、・・・」

更新日:2023/05/30