善光寺四十八願所 | 善光寺四十八願所巡礼記 嘉永5年(1852) |
善光寺四十八願所巡礼記 | 現在 | ||
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一番 | 山城国嵯峨 | 清凉寺 | |
浄土宗 | 五臺山清凉寺 | ||
二番 | 同寺中 | 棲霞寺(清凉寺 阿弥陀堂)[1] | |
浄土宗 | 栖霞寺 | ||
三番 | 同下嵯峨安土橋村 | 宝樹寺 | |
浄土宗 | 熊谷山寶樹寺 | ||
四番 | 同 太秦 | 広隆寺 | |
真言宗 | 廣隆寺 | ||
五番 | 京五條 | 新善光寺 | |
浄土宗 | 來迎堂新善光寺 | ||
六番 | 同 | 本覚寺 | |
浄土宗 | 佛性山真如海院本覺寺 | ||
七番 | 同 大佛方廣殿 | 方広寺 | |
天台宗 | 廣福寺[2] | ||
八番 | 摂州大坂天満東寺町 | 大鏡寺
※ 昭和35年(1960)頃、現在地へ移転 |
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浄土宗 | 明耀山大鏡寺 | ||
九番 | 同阿弥陀か池 | 和光寺 | |
浄土宗 | 蓬池山和光寺 | ||
十番 | 同 | 四天王寺 | |
荒陵山四天王寺 | |||
十一番 | 同平野口 | 大念仏寺 | |
融通念佛宗 | 大念佛寺 | ||
十二番 | 河内国小山村 | 小山善光寺 | |
浄土宗 | 南命山無量壽院善光寺 | ||
十三番 | 同石川郡上ノ太子 | 叡福寺 | |
古義真言宗 無本寺 | 磯長山叡福寺 | ||
十四番 | 大和國葛下郡たくま | 当麻寺 | |
真言浄土兼学 | 當麻寺 | ||
十五番 | 同高市郡橘村 | 橘寺 | |
天台宗 | 佛頭山橘寺 | ||
十六番 | 同飛鳥村 | 飛鳥寺 | |
真言宗 | 鳥形山飛鳥寺 | ||
十七番 | 同弐上郡みわ | 平等寺 | |
古義真言宗 | 三輪山平等寺 | ||
十八番 | 同柳本口 | 長岳寺 | |
古義真言宗 | 釜口山長岳寺 | ||
十九番 | 同たつた | 法隆寺 | |
法相宗八宗兼学 | 斑鳩山法隆寺 | ||
二十番 | 同添下郡五条村 | 唐招提寺 | |
律宗 惣本山 | 唐招提寺 | ||
廿一番 | 同奈良七大寺随一 | 西大寺 | |
真言律宗 | 西大寺 | ||
廿二番 | 同奈良 | 東大寺 大仏殿 | |
日本惣国分寺 | 東大寺大佛殿 | ||
廿三番 | 同東大寺中 | 東大寺 指図堂 | |
勧化院[3] | |||
廿四番 | 山城宇治 | 平等院 | |
浄土律宗 | 朝日山平等院 | ||
廿五番 | 京都 | 知恩院 | |
浄土宗 日本惣本山 | 華頂山知恩院 | ||
廿六番 | 同三条 | 誓願寺 | |
浄土深草流 本山 | 誓願寺 | ||
廿七番 | 同寺町廣小路 | 清浄華院 | |
浄土宗 四ヶ本山 | 清淨殿淨華院 | ||
廿八番 | 同大原 | 浄蓮華院 | |
融通念佛宗 | 融通寺淨蓮華院 | ||
廿九番 | 同 | 勝林院 | |
天台宗 | 魚山大原寺勝林院 | ||
三十番 | 同京百万遍 | 知恩寺 | |
浄土 四ヶ本山 | 長德山功德院知恩寺 | ||
卅一番 | 同獅子が谷 | 法然院 | |
浄土 一本山 | 萬無寺 | ||
卅二番 | 同東山 | 真如堂 | |
鈴鹿山[4]極楽寺真如堂 | |||
卅三番 | 同黒谷 | 金戒光明寺 | |
浄土 四ヶ本山 | 紫雲山金戒光明寺 | ||
卅四番 | 同 | 禅林寺 | |
浄土西山流 本山 | 禪林寺永観堂 | ||
卅五番 | 近江国蒲生郡安土 | 浄厳院 | |
浄土宗 | 慈恩寺浄厳院 | ||
卅六番 | 美濃国不破郡昼飯 | 如来寺 | |
浄土宗 | 花岡山如来寺 | ||
卅七番 | 尾張国名古屋廣小路志門前丁 | 阿弥陀寺 | |
浄土宗 | 正覺山阿弥陀寺 | ||
卅八番 | 同 | 七寺 | |
真言宗 | 稲薗山七寺 | ||
卅九番 | 同善光寺筋なべや町 | 善光寺
※ 昭和28年(1953)、名古屋市東区七小町から現在地へ移転 |
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鎮西浄土宗 | 定額山善光寺 | ||
四十番 | 美濃国可兒郡 | 永保寺 | |
臨済宗 | 虎渓山永保寺 | ||
四十一番 | 同土岐郡釜戸村 | 「極楽寺(瑞浪市釜戸町)」廃寺/本尊は焼失[5] ※ 明治10年代 |
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岩屋山極樂寺阿弥陀堂 | |||
四十二番 | 信濃国伊奈郡上飯田 | 阿弥陀寺 | |
浄土宗 | 佛性山阿弥陀寺 | ||
四十三番 | 同座光寺村 | 元善光寺 | |
如来寺 | |||
四十四番 | 同殿嶋村 | 護国寺 | |
臨済宗 | 法城山護国寺 | ||
四十五番 | 同新町村 | 「往生院(辰野町伊那富)」廃寺 ※ 長久寺に併合?[6] |
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浄土宗 | 松原山往生院釋迦堂 | ||
四十六番 | 同筑摩郡松本東町 | 「念来寺(松本市清水)」廃寺 /阿弥陀三尊像は西善寺へ[7]
※ 明治初年の廃仏毀釈 |
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天台宗 | 光明山念来寺 | ||
四十七番 | 同水内郡善光寺寺中 | 世尊院 | |
世尊院 | |||
四十八番 | 同 | 善光寺 | |
定額山善光寺 | |||
【分布】山城国:18、大和国:10、信濃国:7、摂津国:4、尾張国:3、美濃国:3、河内国:2、近江国:1 |
[1] | 棲霞寺(せいかじ)内の釈迦堂を寺院として始まったのが五台山清凉寺ですが、清凉寺の方が名が高まり、今では清凉寺内の阿弥陀堂に棲霞寺の名が残るのみとなっています。 |
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[2] | 誤記と思われますが、原文通り「廣福寺」と表記します。 |
[3] | 原文の説明に「本尊五劫思惟阿弥陀如来 善導大師の作」とあり、現在の指図堂の本尊と一致しています。 |
[4] | 「鈴鹿山」は「鈴声山」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[5] | 瑞穂市自然ふれあい館HPの情報❐によれば、本尊は釜戸の上平地区から移された丈六の阿弥陀仏像でしたが、大正8年(1919)に本堂とともに焼失しました。 |
[6] | 「善光寺史(2004)」P342に往生院釈迦堂は長久寺の末寺だったことが記されています。 現在、辰野町伊那富のJR伊那新町駅付近(旧・新町村)に該当寺院はなく、また長久寺に「境外仏堂大日院・釈迦堂・十王堂」の情報❐があることから、往生院釈迦堂は長久寺に併合されたと思われます。 |
[7] | 松本市HPの情報❐によれば、三尊像はもと筑摩神社別当寺の安養寺に安置された仏像で、同寺が戦火によって廃絶したあと江戸時代に念来寺に移されました。 念来寺が廃寺となって仏像を西善寺へ移す際、阿弥陀如来坐像が大きすぎて本堂に入れることができず、泣く泣く光背を切り落として安置したというエピソードは有名です。 |
更新日:2022/02/08