沿革 |
開創
平安時代末期、広域で巡礼が困難な西国三十三所巡礼に代わるものとして、後白河天皇(在位:1155-1158)が定めたのが「洛陽三十三所観音巡礼」の起源といわれています。
室町時代の永享3年(1431)頃には、行願寺に始まり北野天満宮に終わる33の札所が定着しました。
衰退
室町幕府8代将軍・足利義政の継嗣争いをきっかけに応仁の乱(1467-1477)が発生すると、京都の町は焦土と化し、いくつかの札所が廃絶してしまいました。
中興
江戸時代の寛文5年(1665)、霊元天皇(在位:1663-1687)の勅命によって中興され、改めて33の札所が定められ、六角堂に始まり清和院に終わる順路が一般的となりました。
そして『京羽二重』などの案内記に札所一覧が紹介され、京の庶民の間で巡礼が大流行しました。
衰退
しかし、明治になると日本中で神仏分離、廃仏毀釈の嵐がふきあれ、廃寺・合併となる寺院が相次いで札所巡りも徐々に廃れていきました。
再興
平成17年(2005)、平成洛陽三十三所観音霊場会が結成され、百数十年ぶりに再興されました。
● 復興五周年記念
≪満願の印≫
三十三ヶ所すべての巡礼を終えて満願になり、霊場会(東向観音寺内)で納経帖に「復興五周年記念」の丸印が押され記念品をいただきました。 |
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≪満願の記念品≫
記念品は5種類あり、その中からこのストラップをいただきました。
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● 再興十周年記念
≪満願の記念品≫
壬生寺で満願の記念品が先着1,000名に授与されます。種類は全部で7種類。
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≪記念朱印≫
平成27年(2015)4月14日から平成28年(2016)4月14日までの間、「再興十周年」の記念朱印がいただけました。 ≪展示会≫ 京都文化博物館で「洛陽三十三所 −観音霊場の再興−」展(平成27年9月18日〜11月23日)が開催されました。 |
更新日:2015/12/25