綾戸國中神社 遷宮記念碑

 昔の綾戸國中神社の社殿は西向きの二社殿でしたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊したため、約20m北の地に神社本来の形である南向きの一社殿二扉の本殿が昭和11年(1936年)秋に再建されました。 その後も拝殿等の造営が続き神社としての形態を整えてきましたが、今度は東海道新幹線建設のため昭和39年(1964年)に社殿等を東へ移転し、現在の形態となりました。

 境内には新幹線建設による遷宮の経緯を示す記念碑があり、当寺の様子を伺い知ることができます。


遷宮 記念碑(正面)

遷宮 記念碑(背面)


碑文
維れ時昭和三十六年の初春 全世界の驚異ともいうべき
超特急国鉄新幹線建設の予定路線として突如当
局より綾戸国中神社御神體鎮座の本殿聖地を
指定し これが協力を懇請さる  氏子一同 驚愕
措く能わず 総代信徒熟議を重ねること 実に
十有餘度に及ぶ 議終に敢為するところ 「国策に
順いこれを甘受することこそ 正に神慮に適うもの
なり」と やがて国鉄新幹線工事局との補償の議も
相互の協調により圓満に妥結す 直ちに遷宮造
営委員会を組織して鋭意これに当る 幸にして当神社
の東に隣接せる地−飯田コウ氏所有−の譲渡を得て
神境の擴張を計り この地を卜して遷宮を請うこととす
尓来造営整備に専念すること三ヶ年の歳月を閲する
に至る 幸なる哉神靈の御加護と 氏子一同 の協心奉仕
の誠により 造営の完成を見るに至る 真に欽仰
慶瑞これに過ぐるものなし
適々昭和四十年十月清秋の吉日を卜し 區内を挙げ
ての遷宮の祭儀を嚴修し これが慶びを倶にせるもの
なり
茲に謹みて當神社遷宮の經緯を碑碣に
存録し この聖域に記念の碑として建立し
後世に貽さんとす 綾戸国中神社
因みに      宮司  杉浦英一
     遷宮造営委員会
謹撰文    会長  井上六平
     元久世教育委員会
謹浄寫    教育長 清水祥雲
     京都四條柴田石材株式会社
謹造営施工  社長  柴田俊治
昭和四十年十月吉辰
綾戸国中神社
遷宮造営委員會

更新日:2024/03/30