願徳寺宝菩提院跡
向日市寺戸町古城(こじょう)の例慶(れつけい)公園に、願徳寺宝菩提院跡を示す案内板が建てられています。
案内板の位置図によれば、願徳寺宝菩提院は案内板の位置より少し西にあったようです。
地名で言うと、湯屋跡は寺戸町西垣内(にしかきうち)に、五重塔跡(伝聞推定位置)は寺戸町西野にあります。
例慶公園 |
案内板 |
願徳寺宝菩提院跡
向日市寺戸町西野
今からおよそ一三〇〇年前の白鳳時代、当地付近に本拠地をおいた豪族が五重塔や金堂などの荘厳な仏教建築を造営しました。
この建物は、長岡京の時代に入ると国家が管理する大寺院に整備されました。
『日本紀略』にみえる大同五(八一〇)年、嵯峨天皇の病気回復を祈願した「長岡寺」は当寺院のことであったと思われます。
別名を「願徳寺」といい、鎌倉時代には宝菩提院が併設され、以降は天台密教の道場として発展しました。
織田信長の兵火による焼亡を経て慶長八(一六〇三)年に再興しましたが、昭和三十九(一九六四)年に廃寺となりました。
そして、昭和四十八(一九七三)年京都市西京区において再建されました。
発掘調査で確認された寺院の遺構のなかで、平成十五(二〇〇三)年に発見された平安時代の湯屋跡はわが国最古の入浴施設として大変注目されます。
東西七・四メートル、南北二・七メートルの掘立柱建物内に設けられた直径一・七メートルの大形竈跡には鉄釜を据えて湯が沸かされ、幅約四メートルの方形石敷遺構の上では、湯浴みがおこなわれていたとみられます。
隣接して井戸や排水溝が備わり、現存する寺院の浴室や中世の絵巻物にみえる湯屋と共通するところが多くあります。
本尊であった国宝の木造菩薩半跏像(伝如意輪観世音)と同じ時代の遺構でもあります。
当時の僧侶たちは仏事法会の前にはこの湯屋で汗や汚れを洗い流して心身を清浄にしていたものと思われます。
平成十七(二〇〇五)年
向日市教育委員会
湯屋跡 |
位置図 |
更新日:2022/09/07