二十二社
上七社
ひら の じん じゃ
平野 神社
主祭神
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備 考

 平野神社の歴史は古く、奈良時代にさかのぼる。 主祭神・今木皇いまきすめ大神おおかみは「今木大神」として、平城京内の田村後宮こうきゅうにまつられていたことが『しょく日本紀にほんぎ』に記されている。

 現在の場所にうつされたのは794年。 平安遷都に伴って宮中外にまつられることになったのだが、これには「臣籍しんせき降下こうか」の制度が関わっていると考えられる。 すなわち、皇族が姓を与えられてその身分を離れる制度が奈良時代末期から実施されていたが、これにより源氏、平氏をはじめ、高階氏、大枝氏、清原氏、中原氏、菅原氏、秋篠氏らが天皇外戚となり、平野神社はそれら氏族の氏神とされたのだ。 当時の境内は約2キロ四方もあったとされ、その広さは現在の京都御所くらい。 9世紀には神階の最高位である正一位も授けられており、広大な敷地と高い格式を誇る神社だった。

 また、これらの氏族のうち、平氏とはとくに結びつきが強く、平清盛の義妹にあたる滋子しげこが平野神社に参詣し舞を奉納したといわれている。 平滋子といえば、後白河法皇に見初められた人物。 稀有けうな美貌と教養をもつ女性だといわれ、元は後白河院の姉に使える女房だったのだが、法皇の寵愛を受け、のちの高倉天皇の母の地位にまで上り詰めた。 さらに院と清盛の仲を取りもち、平氏繁栄のきっかけをつくった人物でもある。 また、現在の社殿は江戸時代の公卿・西洞院家が天皇に進言して復興されたが、この西洞院家も平氏の末裔だ。

出所:『日本の神社100選』から抜粋

更新日:2019/02/11