祇園祭
山鉾巡行 前祭
ふね ぼこ
船鉾
ご利益安産
分 類
所 在下京区新町通綾小路下ル船鉾町
URLhttps://www.instagram.com/funeboko/
備 考

 神功皇后じんぐうこうごうをめぐる説話に由来する。 鉾全体を船の型にし、舳先へさき(船首)には金色のげき(伝説の鳥)、とも(船尾)には黒漆塗くろうるしぬり螺鈿らでん飛龍ひりゅう文様もんようかじをつけ、 船端には朱漆塗の高欄こうらんをめぐらし、唐破風からはふ入母屋いりもや造りの屋根からは紅白の長旈ちょうりゅう吹流ふきながしをひるがえす。

 鉾の上には皇后と陪従ばいじゅうする磯良いそら住吉すみよし鹿島かしまの三神像を安置する。 主神 神功皇后は神面をつけ緋縅ひおどしの軍装、その後に鹿島明神、舳先には海神安曇磯良あづみのいそらが竜宮の満干珠みちひるたまを住吉明神に捧げている。 文安年間(一四四四〜一四四八)作とされる皇后の神面は古来より安産に奇瑞きずい(御利益)があるといわれ、宮中でも尊敬され、明治天皇の御降誕の時には宮中にも参内さんだいしている。 皇后の神像は岩田帯いわたおびをたくさん巻いて巡行するが、それは祭の後、妊婦に授与され安産のお守りとされている。

 鷁は宝暦年間(一七五一〜一七六四)長谷川若狭の作で、船尾の舵は寛政四年(一七九二)に造られた。 水引みずひき雲龍図うんりゅうず肉入にくいり刺繍ししゅうの下絵は西村楠亭にしむらなんてい(一七七五〜一八三四)の筆により、また鹿島明神の持つ長刀なぎなたは、寛文年間(一六六一〜一六七二)の井上いのうえ和泉守いずみのかみ真海しんかい作の逸品である。

出所:『船鉾』京都市駒札

更新日:2017/09/20