七佛藥師 壒嚢鈔 正保3年(1646)
壒嚢 現在
叡山エイザン根本コンボダウ 延暦寺 根本中堂
白川ノ蓼倉寺レウサウシ 「法雲寺[1]」廃寺 /蓼倉薬師
※ 大正5年(1916)以降
日野ノ法界寺 法界寺/日野薬師(乳薬師)
太秦ウヅマサリウ 広隆寺
洛陽平等寺俗ニ因幡堂イナバダウト云 因幡堂/因幡薬師
[2]
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[1]拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「蓼倉(たでくら)薬師 満願寺の北に隣る 本尊は伝教大師の作 坐像一尺余 ・・・ 故に蓼倉山(れいさうさん)法雲寺と号す」
[2]原文タイトルには「七佛藥師ハ如何ソ」とありますが、5つしか読み取れません。

更新日:2014/10/18