天満天神廿五ヶ所 京羽二重大全 天明4年(1784)
京羽二重大全 現在
菅大臣 仏光寺新町西へ入 菅大臣神社
北菅大臣 同丁北側北ヘ入辻子 北菅大臣神社
醒井天神 醒井高辻上荒神ノ内 観音寺[1]
東寺天神 大師堂坤ノ角宝持坊内 東寺 「宝持坊[2]」廃絶?
吉祥院 東寺ノ坤吉祥院村 吉祥院天満宮
行衛天神 西七条村松尾御旅所 綱敷行衛天満宮
※ 昭和9年(1934)、行衛天満宮が綱敷天満宮と合併
綱敷天神 右一丁東神宮寺
一夜天神 壬生南ノ門前寂静庵 壬生寺 一夜天神堂
天道天神 仏光寺通猪熊角 天道神社末社 天道天満宮
御園天神 御池通大宮西へ入神泉苑 神泉苑 「天満宮[3]」廃社
十一 飛梅天神[4] 釜座二条上ル薬師
 三井天神ト云
筑紫太宰府飛梅古木ヲ以作之
薬師院 「飛梅天神[5]」廃社
十二 六角天神 六角堂境内東ノ方 頂法寺(六角堂) 天満宮
十三 錦天神 寺町錦小路歓喜光寺 錦天満宮
十四 祇園天神 祇園本社ノ後 八坂神社末社 天神社
十五 下御霊天神 本社ノ北 下御霊神社末社 天満宮社
十六 安禅寺天神 寺町石薬師下安禅寺内 「安禅寺[6]」廃寺
※ 明治9年(1876)、因幡堂薬王院と合併
十七 菅家天神 石薬師二階丁角 「菅家天神?[7]」廃社?
十八 長福寺天神 寺町今出川上ル四丁め長福寺 「長福寺[8]」廃寺
※ 明治維新の頃
十九 上御霊天神 本社ノかたわら 御霊神社末社 天満宮社
廿 水火天神 堀川上立賣上ル三丁め 水火天満宮
※ 昭和27年(1952)、上天神町から現在地へ移転
廿一 清和院天神 七本松一条上ル清和院 清和院 天神堂
廿二 御輿岡天神 下立賣紙や川旅所 御輿岡神社
廿三 文子アヤコ天神 西京御前通一町西下立賣
上ル丁
北野天満宮末社 文子天満宮[9]
※ 明治6年(1873)、北野天満宮境内へ遷宮
廿四 経王堂天神 影向松ノ前願成寺 「北野経王堂願成就寺[10]」廃寺
※ 明治3年(1870)
廿五 北野天神 北野天満宮
[1]現在、荒神口の護浄院に祀られている清荒神は、慶長5年(1600)まで観音寺に安置されていました。
[2]中井家絵図「洛中絵図」を見ると、東寺「観知院」の南西(現在の宝物館の西隣付近)に「宝持坊」がありますが、「大師堂坤(=南西)ノ角」という説明とは場所が一致しません。
[3]都名所図会(巻之一)」では神泉苑の境内に「天満宮」が描かれていますが、現在は見当たりません。
[4]1つ前の版である明和5年(1768)の明和新増京羽二重大全では、「十一 高松天神 姉小路西洞院東ヘ入丁」になっています。
[5]都名所図会(巻之一)」では不来乎薬師の境内に「飛梅天神」が描かれていますが、現在は見当たりません。
[6]拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「安禅寺 同街(=京極通)石薬師御門の南にあり 真言宗」
[7]宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「石ヤクシ」「ニカイ丁」の角に「タカツシ」邸があります。 高辻家は菅原氏嫡流で、敷地内に道真を祀った天神があり、高辻家とともに天神も移っていったと推測しています。
[8]拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「威王山長福寺 同街(=京極通)条違橋(すぢかひばし)の北にあり 宗旨四宗兼学」
[9]上京区天神通上ノ下立売上ル北町の旧社地は文子天満宮御旅所として残っています。 また、下京区間之町通花屋町下ル天神町にある同名の文子天満宮は、北野天満宮の前身神社と言われています。
[10]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「願成就寺は影向松(えうがうのまつ)の坤(ひつじさる)(=南西)にあり 本尊は釈迦多宝仏の二尊なり ・・・ 故に経王堂ともいふ」
現在、経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に観音堂として移築され、仏像なども大報恩寺霊宝殿に保管されています。

更新日:2016/04/02