大辨財天四拾八ヶ所湏参 | 京羽二重大全 天明4年(1784) |
京羽二重大全 | 現在 | ||
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外廻り | |||
一 | 東北院 | 吉田神楽岡 | 東北院 |
二 | 蘆山寺 | 寺町 本堂ノ内 | 廬山寺 |
三 | 當宮寺 | くらま口花ノ御所 | 東寓寺[1]
※ 明治24年(1891)、現在地へ移転 |
四 | 今宮 | 社内 | 今宮神社末社 宗像社/市杵島姫命[2] |
五 | 興善院 | 北野社東門前 | 「高善院[3]」廃寺? |
六 | 経王堂 | 同 | 「北野経王堂願成就寺[4]」廃寺 ※ 明治3年(1870) |
七 | 宥盛寺 | 同御前通下森下 | 宥清寺
※ 昭和8年(1933)、現在地へ移転 |
八 | 壬生寺 | 壬生寺 弁天堂[5] | |
九 | 水薬師 | 西七条 | 水薬師寺 |
十 | 大通寺 | 東寺尼寺 | 六孫王神社[6]/誕生水弁財天 |
十一 | 東寺 | 東寺 弁天堂 | |
十二 | 稲荷社内 | 伏見 | 伏見稲荷大社 「弁天堂[7]」廃絶 |
十三 | おたきノ内 | 松原 | 愛宕念仏寺
※ 大正11年(1922)、現在地へ移転 |
十四 | 六はらノ内 | 仝 | 六波羅蜜寺 弁財天堂 |
十五 | 経書堂 | 清水坂 | 来迎院(経書堂) |
十六 | 大日堂 | 同 | 真福寺(大日堂) |
十七 | 清水寺 | 田村堂ノうしろ | 清水寺 弁天堂 |
十八 | 正法寺 | 霊山 | 正法寺 「辨財天社[8]」廃絶 |
十九 | 十倫院 | 八坂 | 「十輪院[9]」廃寺? |
二十 | 青龍寺 | きやらノ観音 | 青龍寺 |
廿一 | 正福院 | 下川原 | ★調査中 |
廿二 | 安井ノ内 | 「安井観勝寺(安井門跡)」廃寺 ※ 明治9年(1876)、大覚寺と合併 |
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廿三 | 長樂寺 | 東山 | 長楽寺/弁才天 |
廿四 | 安養寺 | 圓山吉水 | 安養寺 円山弁天堂/吉水弁財天 |
廿五 | 祇園社 | 本社北ノ方 | 八坂神社 厳島社[10]/市杵島比売命 |
廿六 | 同 | やくし堂ノ向 あいせん堂ノ内 |
八坂神社 「愛染堂[11]」廃絶 |
廿七 | 金蔵寺 | 白川橋庚申堂 | 「青蓮院塔頭 金蔵寺」廃寺
※ 明治初年 |
廿八 | 專念寺 | 二条川東 | 専念寺 |
廿九 | 法雲寺 | 川原町二条上ル | 法雲寺 |
三十 | 清シ荒神 | 寺町かうじん口 | 護浄院(清荒神) |
内廻り | |||
卅一 | 愛敬院 | 寺町圓福寺内 | 永福寺[12] |
卅二 | 安養寺 | 同 南となり | 安養寺 |
卅三 | 金蓮寺 | 同 四条道場 | 金蓮寺
※ 大正15年(1926)、現在地へ移転 |
卅四 | 春長寺 | 同 四条下ル | 春長寺 |
卅五 | 大雲院 | 同 | 大雲院
※ 昭和48年(1973)、現在地へ移転 |
卅六 | 本覚寺 | 五条下寺町 | 本覚寺 |
卅七 | 長講堂 | 同 南 | 長講堂 |
卅八 | 想持院 | 佛光寺室町角 | 日吉神社[13] |
卅九 | 功徳院 | 高辻室町西ヘ入 | 「功徳院[14]」廃寺 繁昌神社/京の弁財天
※ 明治の神仏分離 |
四十 | 神明社内 | 綾小路高倉西ヘ入 | 神明神社 |
四十一 | 亀薬師 | にしき新町西入 | 亀龍院(亀薬師堂) |
四十二 | 不動院 | 六角西ノ方 | 「頂法寺(六角堂)寺家 不動院[15]」廃寺 |
四十三 | また旅所 | 三条あたらし町 | 御供社(又旅所) |
四十四 | 妙泉寺 | 同 大宮西ヘ入 | 妙泉寺 |
四十五 | 神泉苑 | 御池大宮西ヘ入ル | 神泉苑 弁天堂/増運弁財天 |
四十六 | 三宝寺 | いの熊下立賣上ル | 「三宝寺[16]」廃寺 ※ 明治17年(1884)、毘沙門堂と合併 |
四十七 | 醫徳堂 | 釜座二条上ル | 威徳堂 |
四十八 | 天性寺 | 寺町三条上ル | 天性寺 弁天堂/天河大弁財天 |
[1] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。
「五所(ごしょ)八幡宮 同街(=鞍馬口通)山口間臥庵(かんぐわあん)の東にあり ・・・ 近年足利家の花の御所に効(なそらへ)て御所八幡とも称す 社内に禅刹あり 絶海禅師の開基にして東寓寺といふ」 また「船井郡誌」P304に以下の記述があります。 「東寓寺は元京都市上京區鞍馬口上善寺門前町に在り、明治二十三年下和知村信徒の出願により二十四年本村に移轉したるものなり。」 |
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[2] | 市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)は、本地垂迹において弁財天と同一とされていました。 |
[3] | 元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、北野天満宮の東門前北側に「弁才てん」が描かれています。 また、中井家絵図「洛中絵図」では、北野天満宮前の同じ位置に「高(興)善院」が描かれています。 |
[4] | 「都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「願成就寺は影向松(えうがうのまつ)の坤(ひつじさる)(=南西)にあり 本尊は釈迦多宝仏の二尊なり ・・・ 故に経王堂ともいふ」 現在、経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に観音堂として移築され、仏像なども大報恩寺霊宝殿に保管されています。 |
[5] | 弁天堂は明治27年(1894)の再建で、辧財天は清水寺の延命院から移されたものです。 |
[6] | 六孫王神社は大通寺の元・鎮守で、明治45年(1912)に大通寺だけが南区西九条比永城町へ移転しました。 |
[7] | 「花洛名勝図会(東山之部八)」の稲荷神社の項に以下の記述があります。 「辨財天社 本社の左傍の前にあり」 |
[8] | 「花洛名勝図会(東山之部六)」の霊鷲山正法寺の項に以下の記述があります。 「辨財天社 惣門の内左の方山下にあり 社拝殿ともに南向」 |
[9] | 「京町鑑(横町)」の川東之部法観寺門前八坂上町の項に以下の記述があります。 「此町(=八坂上町)八坂の塔有 北側中程に十輪院と云真言の寺有」 |
[10] | 現在の八坂神社で市杵島比売命を祀る末社は、厳島社と美御前社(うつくしごぜんしゃ)の2つです。 「都名所図会(巻之三)」や「花洛名勝図会(東山之部一 )」を見ると、 本殿東側に美御前社が、本殿北側の現在の厳島社の位置に弁財天社が描かれているため、弁財天社が現在の厳島社になったと考えています。 |
[11] | 「花洛名勝図会(東山之部一)」の祇園社の項に以下の記述があります。 「愛染堂 薬師堂(=観慶寺)の向にあり 北向」 |
[12] | 永福寺(当時は円福寺に併合されていた)に薬師の泉と呼ばれる弁天さまの御神水があります。 永福寺内には愛敬院も存在しますが、今は愛染明王が祀られています。 |
[13] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「山王社 室町五条坊門山王町にあり 総持院と号す」 |
[14] | 功徳院は繁昌神社の元・神宮寺で、明治の神仏分離令の際に功徳院が廃寺となりました。 |
[15] | 「都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂南西に「不動院」が描かれています。 「京都市の地名」P785の頂法寺の項に「多聞院・不動院・住心院・愛染院などの寺家があった。」と記されていますが、いずれも現存しません。 |
[16] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「稲荷荒神社 猪熊通出水の南にあり ・・・ 今天台宗の僧住して三宝寺と号し 山科毘沙門堂に属す」 |