六勝寺 | 塵添壒嚢鈔 天文元年(1532) |
塵添壒嚢鈔 | 現在 | |
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1 | 法勝寺ハ。白川ノ天皇ノ御願。承暦元年丁巳十二月十八日ニ供養アリ。 | 廃寺 ※ 天正18年(1590)、西教寺に併合 |
2 | 尊勝寺ハ。堀河院御願康和四年壬午七月廿一日供養在リレ之レニ。 | 廃寺 |
3 | 圓勝寺ハ。鳥羽院后キ崇德院ノ御母。待賢門院御願大治三年戊申三月十三日ニ供養。 | 廃寺 ※ 応仁の乱(1467-1477) |
4 | 最勝寺ハ。鳥羽院御願。尊勝寺東元永元年戊戌十二月七日ニ供養畢。[1] | 廃寺 ※ 応仁の乱(1467-1477) |
5 | 成勝寺ハ。崇德院御願保延五年己未十月十六日ニ供養有リ。[1] | 成勝寺[2]
※ 元和7年(1621)に江戸へ、昭和3年(1928)に現在地へ移転 |
6 | 延勝寺ハ。近衛院御願久安五年己巳二月廿日ニ供養畢。[3] | 廃寺 ※ 応仁の乱(1467-1477) |
以上六箇寺。皆勝ノ字アルニ依テ。六勝寺ト云也。 |
[1] | 他の古文書と日付が異なっています。 |
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[2] | 「京都坊目誌」は応仁の乱で廃寺になったと記していますが、保元の乱で敗れ流罪の末に怨霊となったと伝えられる崇徳上皇の御願寺という特異な性格のため、年を経ても繰り返し再興されたのでしょう。 |
[3] | 「二月」は「三月」の誤記と思われます。 |
更新日:2014/11/16