七觀音 塵添壒嚢鈔 天文元年(1532)
塵添壒嚢 現在
革堂カウタウ行願寺ト云。八尺ノ千手 行願寺(革堂)
河﨑スルハ感應寺 「感応寺[1]」廃寺 /河崎観音は清和院
[2]
本尊清水寺八尺千手千眼ノサウ 清水寺
六波羅密寺ロクハラミツジ八尺十一面 六波羅蜜寺
角堂カクダウ頂法チヤウボウ寺ト云。生身ノ如意輪ニョイリン 頂法寺(六角堂)
[2]
[1]感応(かんおう)寺は一条河崎観音寺とも称し上京区梶井町付近にありましたが、享禄4年(1531)に焼失し、後世清和院に合併されたと伝えられています。
平安〜安土桃山の頃を描いたとみられる「中古京師内外地図」では、賀茂川西岸に「河サキ堂観音(=感応寺)」が描かれています。
[2]原文には善峯寺の観音像のことも書かれていますが、七観音の一つとは読めませんでした。

更新日:2014/11/16