洛陽三十三所観音 | 京羽二重 宝永2年(1705) |
京羽二重 | 現在 | ||
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一番 | 六角堂 | 誓願寺烏丸東へ入 | 頂法寺(六角堂) |
弐番 | 長金寺 | 蛸藥師之辻子 | 「長金寺[1]」廃寺 /一言観音は誓願寺へ
※ 明治時代 |
三番 | 下御霊 | 寺町通竹屋町上町 | 下御霊神社 /観音像は成円寺[2]へ |
四番 | 革堂 | 寺町椹木町上二町 | 行願寺(革堂) |
五番 | 新長谷寺 | 吉田山入口 | 新長谷寺
※ 明治時代、現在地へ移転 |
六番 | 吉田寺 | 黒谷 | 廃寺 /吉備観音は金戒光明寺へ
※ 寛文8年(1668)、吉田中山の吉田寺廃寺 |
七番 | 長樂寺 | 東山圓山之南 | 長楽寺 |
八番 | 七觀音 | 高臺寺ノ前 | 「七観音院」廃寺?[3] |
九番 | 青龍寺 | 高臺寺辻子 | 青龍寺/伽羅観音 |
十番 | 地藏院 | 清水子安の前 | 善光寺堂 |
十一番 | 奥千手 | 清水寺 | 清水寺 奥の院 |
十二番 | 清水寺 | 同 | 清水寺 本堂 |
十三番 | 朝倉堂 | 同 | 清水寺 朝倉堂 |
十四番 | 泰産寺 | 子安の塔 | 泰産寺
※ 明治43年(1910)、仁王門前から現在地へ移築 |
十五番 | 六波羅密寺 | 六波羅 | 六波羅蜜寺 |
十六番 | 念佛寺 | 愛宕観音 | 愛宕念仏寺/厄除千手観音
※ 大正11年(1922)、現在地へ移転 |
十七番 | 蓮花王院 | 三十三間堂 | 蓮華王院(三十三間堂) |
十八番 | 善能寺 | 泉涌寺ノ内 | 善能寺 |
十九番 | 觀音寺 | 今熊野 | 今熊野観音寺 |
廿番 | 泉涌寺 | 楊貴妃觀音 | 泉涌寺/楊貴妃観音 |
廿一番 | 法性寺 | 伏見海道 | 法性寺 |
廿二番 | 常光寺 | 東九条 | 城興寺 |
廿三番 | 東寺 | 本堂ノ東 | 東寺 |
廿四番 | 長圓寺 | 松原通大宮西へ入 | 長円寺 |
廿五番 | 妙寿院 | 松原通西洞院西へ入 | 一音寺?[4]
※ 平成2年(1990)以前に現在地へ移転[5] |
廿六番 | 松雲寺 | 四条坊門大宮西へ入 | 正運寺 |
廿七番 | 觀音寺 | 下立賣七本松通 | 観音寺 |
廿八番 | 西蓮寺 | 下立賣西ノ京 | 西蓮寺 |
廿九番 | 長宝寺 | 大将軍町 | 「長宝寺[6]」廃寺 /観音像は成願寺[7]へ
※ 明治6年(1873)、神仏分離で三之保社として北野天満宮へ遷宮 |
三十番 | 地藏院 | 同 紙や川ノ西 | 地蔵院 |
卅一番 | 朝日寺 | 北野東向觀音 | 観音寺 |
卅二番 | 天王寺 | 北野紅梅殿前 | 「天王寺[8]」廃寺 /如意輪観音像は廬山寺へ
※ 明治7年(1874)、廬山寺と合併 |
卅三番 | 清和院 | 七本松一条上ル | 清和院/河崎観音[9] |
[1] | 「都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長金寺は誠心院の西向ひなり 一言堂といふ 本尊十一面観音は弘法の作」 |
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[2] | 田中緑紅編の「京のおもかげ」(1931-1937年刊)の続篇下37に「成円寺に残る下御霊観音堂 (大宮蛸薬師成円寺)」の記録があり、 また成円寺の門前には「洛陽 三番正観音 六番地蔵尊 成圓寺」と書かれた石標があります。 |
[3] | 七観音院は2018年に法人番号が更新されていますが、門や堂宇がすべて取り壊され、現在は更地になっています。 |
[4] | 他の古文書情報と所在地から、「妙寿院」=「一音寺」と推定しました。 |
[5] | 昭和26年(1951)頃の京都を示した「京都市明細図」を見ると、五条天満宮(天使社)の西隣、下京区天神前町343に「一音寺」があり、
現在は跡地に平成3年(1991)8月完成のマンションが建っています。 伏見区深草谷口町にある真言宗醍醐派の一音寺が、天使山の山号をもつことから、移転先の同一寺院とみています。 |
[6] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長宝寺 大将軍の西にあり 本尊十一面観音は菅神の御作にて 」 |
[7] | 成願寺の長寳堂には「洛陽廿九番 長寳寺」の扁額が掲げられています。 なお、右京区花園艮北町の成願寺(北野天満宮七保のひとつ七之保社)とは別の寺院です。 |
[8] | 「都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「金山天王寺は北野社東の門通にあり 天台宗にして本尊如意輪観音は聖徳太子の作なり」 |
[9] | 現在は九州国立博物館に寄託されています。 |
更新日:2022/02/04