四拾八願寺 京羽二重 宝永2年(1705)
京羽二重 現在
一願 聖德寺 綾小路大宮西へ入 聖徳寺
二願 休務寺きうむじ 錦小路大宮西へ入 休務寺
三願 淨德院 西の京辻子 浄篤院/矢負如来
四願 東光寺 右近馬場通西へ入 東光寺/戦場勝手如来
五願 西方さいほう 北野信西しんせい 西方尼寺/腰掛阿弥陀如来
六願 超寺てうじ 一条通千本通角 大超寺
※ 昭和58年(1983)、現在地へ移転
七願 浄福寺 一条通千本東へ入 浄福寺
八願 石像しやくさう 千本通一条上八町目 石像寺
九願 無量寺 石像寺一町上西裏寺 無量寺
十願 稱念寺 西陣まくら町 称念寺
十一願 超勝院てうせういん あくひ二階町東かわ 超勝院
十二願 報恩寺 上立賣小川西上ル町 報恩寺
十三願 寶持院ほうちいん 木ノ下道正ノ東 宝慈院
十四願 西薗寺 寺町通くらま口 西園寺
十五願 光明寺 寺町今出川上五丁目 光明寺
十六願 阿弥陀寺 右ノ下ノ町 阿弥陀寺
十七願 佛陀寺 阿弥陀寺下之町 仏陀寺
十八願 真如堂 東山かぐらをか 真正極楽寺(真如堂)/うなずきの阿弥陀
十九願 淨花院 寺町今出川ノ南 清浄華院
廿願 教安寺 下御霊裏寺町 教安寺
※ 宝永5年(1708)の大火後、現在地へ移転
廿一願 信行寺 寺町さはら木町下 信行寺
※ 宝永5年(1708)の大火後、現在地へ移転
廿二願 大恩寺 下御霊上ル町 大恩寺
※ 宝永5年(1708)の大火後、現在地へ移転
廿三願 長德寺 今出川口田中 長徳寺
廿四願 智恩寺 百万遍之田中 知恩寺
廿五願 光明寺 黒谷也 金戒光明寺/鑿納めの如来
廿六願 禪林寺 永觀堂也 禅林寺(永観堂)/見返り阿弥陀
廿七願 金剛寺 三条白川橋東 金剛寺
廿八願 大谷だいこく 東山智恩院 知恩院
廿九願 一心院 右同境内 一心院
三十願 正法寺 霊山国阿 正法寺
卅一願 西福寺 六波羅ノ角 西福寺
卅二願 阿弥陀 物よし村 「清円寺」廃寺 /阿弥陀如来像[1]長仙院
※ 明治5年(1872)
卅三願 本覚寺 五条下寺町 本覚寺
卅四願 上德寺 本覚寺向 上徳寺
卅五願 蓮光寺 本覚寺ノ下 蓮光寺
卅六願 長講堂ちやうかうたう 右ノ下也 長講堂
卅七願 延壽寺 長講堂裏寺 延寿寺
卅八願 金蓮寺 因幡薬師ノ内 因幡堂塔頭 金蓮寺[2]」廃寺
卅九願 長白寺 同 柳ノ坊 因幡堂塔頭 長伯寺[3]」廃寺
四十願 淨願寺 寺町通仏光寺下 乗願寺
四十一願 空也寺 右同町ノ角 空也寺
四十二願 聖光寺 寺町綾小路下町 聖光寺
四十三願 淨教寺 同通綾小路上町 浄教寺
四十四願 大雲院 右同町 大雲院
※ 昭和48年(1973)、現在地へ移転
四十五願 了蓮寺 寺町錦小路上ル町 了蓮寺
※ 明治34年(1901)、現在地へ移転
四十六願 安養寺 右同町ノ北 安養寺/逆蓮華の阿弥陀
四十七願 圓福寺 たこやくしノ内 円福寺
※ 明治16年(1883)、現在地へ移転[4]
四十八願 誓願寺 寺町三条下ル町 誓願寺
[1]長仙院の本尊阿弥陀如来像は、安倍晴明の木像などとともに、明治5年(1872)に清円寺から譲り受けたものといわれています。
[2]都名所図会(巻之二)」の因幡堂平等寺の項に以下の記述があります。 「金蓮寺の阿弥陀仏は春日の作なり 京極誓願寺と同体なり」
[3]都名所図会(巻之二)」の因幡堂平等寺の項に以下の記述があります。 「長伯寺は裸形阿弥陀仏を安置す」
[4]元治元年(1864)の京都の大火災や土地没収による境内の大幅縮小がきっかけで、明治16年(1883)に三河国額田郡岩津村(現・愛知県岡崎市)の妙心寺と寺号を交換し、本尊を含むほとんどのものが移転されました。 現在、元・円福寺の場所には妙心寺があります。