方除十二社廻り 京都名所案内図会 明治20年(1887)
京都名所案内図会 現在
壱番 北野大将軍社 大将軍八神社
二番 神泉苑の社 神泉苑
三番 千本㷔摩[1] 引接寺(千本ゑんま堂)
四番 紫竹大宮森社 久我神社[2]
五番 上加茂片岡社 片岡社
六番 御そろ池地藏尊 「地蔵堂[3]」廃絶 /深泥池地蔵は上善寺
※ 明治初年の神仏分離
七番 下加茂河合社 河合神社
八番 同 格[4]明神 比良木社
九番 祇園夜刄[5] 「観慶寺[6]」廃寺 /夜叉神明王は大蓮寺
※ 明治初年の神仏分離
十番 同 美御前 八坂神社末社 美御前社(うつくしごぜんしゃ)
十壱番 清水坂大日堂 真福寺(大日堂)
十二番 東寺八嶋社 東寺内 八嶋社
[1]「摩」は「魔」の誤記と思われますが、原文のまま表記します。
[2]拾遺都名所図会(巻之三)」の中に以下の記述があります。 「大宮 紫野北にあり 祭る所神秘なり 加茂に属す 大宮森 同所神木をいふ」
[3]地蔵堂は上賀茂神社の社地にあり、明治時代の神仏分離令で廃されましたが、明治28年(1895)に旧地(北区上賀茂深泥池町)に深泥池地蔵堂が再興され、二代目地蔵尊が奉納されています。
[4]「格」は「柊」の誤記と思われますが、原文を見たまま表記します。
[5]「刄」は「叉」の誤記と思われますが、原文を見たまま表記します。
[6]観慶寺(かんぎょうじ)は別名を祇園寺と言い、その寺域内にあった天神堂がのちの祇園社(八坂神社)となりました。 「花洛名勝図会(東山之部一 )」の祇園社の項に以下の記述があります。 「観慶寺 本殿の西にあり 薬師堂といふ」

更新日:2015/11/15