虚空蔵十三ヶ所 京都名所案内図会 明治20年(1887)
京都名所案内図会 現在
壱番 法輪寺 法輪寺
二番 法泉院 廃寺?[1]
三番 廣隆寺 広隆寺
四番 経王堂 「北野経王堂願成就寺[2]」廃寺
※ 明治3年(1870)
五番 清和院 清和院
六番 和光院 廃寺[3] 桜宮神社は存続
七番 双林寺 葭ヤ町 椹木町 蔵林寺[4]
八番 岩上寺 岩上六角 中山神社[5]
九番 因幡堂 因幡堂
十番 ノウマン院 頂法寺(六角堂)寺家 納満院[6]」廃寺
十一番 福勝寺 出水 福勝寺
十二番 革堂 寺町 革堂
十三番 福智院[7] 「智福院[8]」廃寺?
[1]山州名跡志(巻之八)」の中に以下の記述があります。 「法泉院 在釋迦堂(=清凉寺)北南向 本尊 虚空蔵菩薩 坐像二尺五寸」
[2]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「願成就寺は影向松(えうがうのまつ)の坤(ひつじさる)(=南西)にあり 本尊は釈迦多宝仏の二尊なり ・・・ 故に経王堂ともいふ」
現在、経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に観音堂として移築され、仏像なども大報恩寺霊宝殿に保管されています。
[3]「天明新増/京羽二重大全(巻之五)」の中に以下の記述があります。 「神明宮 在出水通千本東南方カハニ 一名桜宮云 社僧天台宗 和光院」
また、宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、出水通千本東入の南側に「和光院」があります。
[4]所在地と寺院名の類似から推定しました。
[5]もとは境内に霊石(石上神)を祀る神社で、江戸時代は石上寺(岩上寺)として社僧が管理していました。 寛永7年(1630)頃、霊石は西陣の岩上神社(上京区大黒町)へ移されました。
[6]都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂西側に「納満院虚空藏」が描かれています。
[7]他の古文書情報から「智福院」の誤記と推測されますが、原文のまま「福智院」としています。
[8]拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「智福院 神楽岡の南にあり 開基弘法大師 本尊虚空蔵菩薩」