こくうざう十三所まはり 都すゞめ案内者 正徳5年(1715)
都すゞめ案内者 現在
一番 ほうりん寺 南さが大ゐ川むかひ 法輪寺
二〻 ほうせんゐん 北さがしやか堂うしろ 「法泉院[1]」廃寺?
三〻 くはうりうじ うづまさやくし堂の内 広隆寺
四〻 きやう王堂 きたの天神のまへ 「北野経王堂願成就寺[2]」廃寺
※ 明治3年(1870)
五〻 せいわゐん 北野七本松一条上 清和院
六〻 わくはうゐん でみづ通千本東へ入丁 「和光院[3]」廃寺 桜宮神社は存続
七〻 ざうりんじ よしや町さわら木町下 蔵林寺
八〻 いわかみ寺 堀川半町西六角下丁 中山神社[4]
九〻 いなばだう 松原通からす丸のかど 因幡堂
十〻 のうまんゐん 六かくだうの内西北ノ角 頂法寺(六角堂)寺家 納満院[5]」廃寺
十一〻 ふくしやうじ 出水通千本西ヘ入町 福勝寺
十二〻 かうだう 寺町通竹や町行あたり 革堂
十三〻 ちふくゐん よしだ山のうへ 「智福院[6]」廃寺?
右道のりさがほうりんじよりよしだちふくゐんまで三里十三町有
[1]山州名跡志(巻之八)」の中に以下の記述があります。 「法泉院 在釋迦堂(=清凉寺)北南向 本尊 虚空蔵菩薩 坐像二尺五寸」
[2]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「願成就寺は影向松(えうがうのまつ)の坤(ひつじさる)(=南西)にあり 本尊は釈迦多宝仏の二尊なり ・・・ 故に経王堂ともいふ」
現在、経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に観音堂として移築され、仏像なども大報恩寺霊宝殿に保管されています。
[3]「天明新増/京羽二重大全(巻之五)」の中に以下の記述があります。 「神明宮 在出水通千本東南方カハニ 一名桜宮云 社僧天台宗 和光院」
また、宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、出水通千本東入の南側に「和光院」があります。
[4]もとは境内に霊石(石上神)を祀る神社で、江戸時代は石上寺(岩上寺)として社僧が管理していました。 寛永7年(1630)頃、霊石は西陣の岩上神社(上京区大黒町)へ移されました。
[5]都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂西側に「納満院虚空蔵」が描かれています。
[6]拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「智福院 神楽岡の南にあり 開基弘法大師 本尊虚空蔵菩薩」