弘法大師廿一ヶ所参 都すゞめ案内者 正徳5年(1715)
都すゞめ案内者 現在
壱番 仁和寺にんわじおむろ 仁和寺
二番 きた野の経堂 「北野経王堂願成就寺[1]」廃寺
※ 明治3年(1870)
三番 同 ひがしむきのくわんをん 東向観音寺
四番 同 七ほんまつ せいわゐん 清和院
五番 せんぼん れんだいじ 上品蓮台寺
六番 同 ぢざうゐん 上品蓮台寺子院 地蔵院[2]」廃寺
七番 同 ゑんまだう 引接寺
八番 しやうてん 雨宝院
九番 上のいわ神 岩上神社
十番 釜の座二でう上ル丁 こぬかやくし 薬師院
十一番 出水通千本西へ入 ふくしやう寺 福勝寺
十二番 寺町せいぐわんじ下ル丁 いづみしきぶ 誠心院
十三番 誓願寺通東洞院西へ入 六かくたう 愛染院[3]
※ 平成9年(1997)、現在地へ移転
十四番 しんぜんゑん 神泉苑
十五番 いわ神通せいぐわん下ル町 中山神社[4]
十六番 いなば堂の内 桂芳院 平等寺(因幡堂)塔頭 桂芳院[5]」廃寺
十七番 同所 くわんをん堂 平等寺(因幡堂) 観音堂
十八番 六はら くうやだう 六波羅蜜寺 「開山堂(空也堂)[6]」廃絶
十九番 大たにのかど ほうじゆゐん ★調査中
二十番 ちうだうじ くわうみやうゐん ★調査中
廿一番 とうじ 東寺
愚知無智くちむちにして何心なにこゝろをなくして
南無大師へんぜうこんがう後生
ぼだひ願い此功德普及於一切我等
与衆生皆共成佛道
[1]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「願成就寺は影向松(えうがうのまつ)の坤(ひつじさる)(=南西)にあり 本尊は釈迦多宝仏の二尊なり ・・・ 故に経王堂ともいふ」
現在、経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に観音堂として移築され、仏像なども大報恩寺霊宝殿に保管されています。
[2]宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「レンダイジ」の近くに千本通に面して「ジゾウイン」があります。
[3]「京羽二重大全」の情報から、もと六角堂頂法寺塔頭で弘法大師像を祀る愛染院と判断しました。 愛染院は中京区六角通東洞院西入堂之前町にありましたが、1868年に頂法寺から分離し、1997年に現在地へ移転しました。
都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂東側に「愛染堂」が描かれています。
[4]もとは境内に霊石(石上神)を祀る神社で、江戸時代は石上寺(岩上寺)として社僧が管理していました。 寛永7年(1630)頃、霊石は西陣の岩上神社(上京区浄福寺通上立売大黒町)へ移されました。
[5]都名所図会(巻之二)」の因幡堂平等寺の項に以下の説明があります。 「桂芳院には稲荷社あり 又不動役行者を安ず」
[6]京都市の地名」P234の六波羅蜜寺の項に、明治4年(1871)に開山堂が壊され空也像が本堂に移された事が記されています。
都名所図会(巻之二)」では六波羅密寺の本堂正面向かいに「開山空也堂」が描かれています。

更新日:2014/12/07