天神順參二十五ヶ所 | 都すゞめ案内者 正徳5年(1715) |
都すゞめ案内者 | 現在 | ||
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壱番 | 菅大臣天神 | ぶつくわうし新丁西入南がは | 菅大臣神社 |
二番 | 北菅大臣 | 同町北へ入ずし | 北菅大臣神社 |
三〻 | じゆ福院天神 | さめがゐ高辻上ル 本くわう神の内 |
観音寺[1] |
四〻 | 東寺天神 | 大師堂うしろ宝持坊 | 東寺 「宝持坊[2]」廃絶? |
五〻 | 吉祥院天神 | 東寺よつつかのにし | 吉祥院天満宮 |
六〻 | ゆくゑの天神 | 西七条松尾おたび所 | 綱敷行衛天満宮
※ 昭和9年(1934)、行衛天満宮が綱敷天満宮と合併 |
七〻 | つなしきの天神 | 右一丁ひがしじんぐう寺 | |
八〻 | 一夜の天神 | みぶ南門前寂静庵 | 壬生寺 一夜天神堂 |
九〻 | あさひの天神 | 右二丁東くわんをん堂 | 「朝日天神[3]」廃社? |
十〻 | 天道天神 | ふつこうぢいのくまかど | 天道神社末社 天道天満宮 |
十一〻 | 立願寺天神 | 綾小路東洞院東入 神明の内 |
神明神社[4]末社 天神宮[5] |
十二〻 | 祇園天神 | ぎをん本社のうしろ | 八坂神社末社 天神社 |
十三〻 | 下御霊天神 | 本しやのきた | 下御霊神社末社 天満宮社 |
十四〻 | 安禪寺天神 | 二階町石やくし下ル西かは杦坊 | 「安禅寺[6]」廃寺 ※ 明治9年(1876)、因幡堂薬王院と合併 |
十五〻 | 菅家天神 | 石やくし二かい町かど | 「菅家天神[7]」廃社? |
十六〻 | 長福寺天神 | 寺町今出川上四丁め ふどうの寺 |
「長福寺[8]」廃寺 ※ 明治維新の頃 |
十七〻 | 上御霊天神 | 本社のうしろ | 御霊神社末社 天満宮社 |
十八〻 | すいくわの天神 | ほり川上立うり三丁上 | 水火天満宮
※ 昭和27年(1952)、上天神町から現在地へ移転 |
十九〻 | 清和院天神 | 北の七本松一条上 かわさきくわん音 |
清和院 天神堂 |
廿〻 | みこし岡の天神 | 下立賣かい川[9]の西 | 御輿岡神社 |
廿一〻 | あやこの天神 | 西京おまへ通一丁西 下立うり上 |
北野天満宮末社 文子天満宮[10]
※ 明治6年(1873)、北野天満宮境内へ遷宮 |
廿二〻 | 安樂寺天神 | 右同町の北にしかは | 北野天満宮末社 一之保神社(時鳥天神)[11]
※ 明治6年(1873)、北野天満宮境内へ遷宮 |
廿三〻 | 経王堂天神 | 北のゑうがうの枩前 願成寺 |
「北野経王堂願成就寺[12]」廃寺 ※ 明治3年(1870) |
廿四〻 | 觀音寺天神 | 経王堂の北東むき | 東向観音寺[13] |
廿五番 | 北野天神 | 以上 | 北野天満宮 |
[1] | 現在、荒神口の護浄院に祀られている清荒神は、慶長5年(1600)まで観音寺に安置されていました。 |
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[2] | 中井家絵図「洛中絵図」を見ると、東寺「観知院」の南西(現在の宝物館の西隣付近)に「宝持坊」がありますが、「大師堂うしろ(=南?)」という説明とは場所が一致しません。 |
[3] | 宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「一夜ノ天神」の東に「朝日天神」がありますが、現存確認できていません。 |
[4] | 明治維新の神仏分離まで、神明神社は護国山立願寺円光院という天台宗の寺院でした。 |
[5] | 「山州名跡志(巻之二十二)」❐の中に以下の記述があります。
「神明宮 在二綾小路高倉西北方一 ・・・ 攝社 石神社 稲荷社 天神宮 辨天社 荒神社 在二本宮東一自レ北至レ南」
現在の神明神社の末社は5社でいずれも祭神は不明ですが、上記の5社と考えられます。
また第二次大戦後、近くの豊園小学校(現・洛央小学校)内に祀られていた文子天満宮が合祀されていますが、これは本殿の天照皇大神との合祀のようです。 |
[6] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「安禅寺 同街(=京極通)石薬師御門の南にあり 真言宗」 |
[7] | 宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「石ヤクシ」「ニカイ丁」の角に「タカツシ」邸があります。 高辻家は菅原氏嫡流で、敷地内に道真を祀った天神があり、高辻家とともに天神も移っていったと推測しています。 |
[8] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「威王山長福寺 同街(=京極通)条違橋(すぢかひばし)の北にあり 宗旨四宗兼学 ・・・ 本尊不動尊」 |
[9] | 「かい川」は現在の紙屋川(天神川)です。 |
[10] | 上京区天神通上ノ下立売上ル北町の旧社地は文子天満宮御旅所として残っています。 また、下京区間之町通花屋町下ル天神町にある同名の文子天満宮は、北野天満宮の前身神社と言われています。 |
[11] | 廃仏毀釈によって神仏習合の安楽寺天神は神宮寺である安楽寺が廃寺となり、「一之保社」として北野天満宮内へ遷座されました。 その後、旧跡地には再び安楽寺天満宮が創始されています。 |
[12] | 「都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。
「願成就寺は影向松(えうがうのまつ)の坤(ひつじさる)(=南西)にあり 本尊は釈迦多宝仏の二尊なり ・・・ 故に経王堂ともいふ」
現在、経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に観音堂として移築され、仏像なども大報恩寺霊宝殿に保管されています。 |
[13] | 東向観音寺の本尊十一面観世音菩薩像は、菅原道真の自作と伝えられており、天神本地仏として信仰を集めました。 |
更新日:2016/04/02