上下寺町新四十八願まはり 都すゞめ案内者 正徳5年(1715)
都すゞめ案内者 現在
一願 あみだ寺 寺町今出川二丁上 阿弥陀寺
二願 くわうみやうじ 同きたとなり 光明寺
三〻 ねんぶつ寺 同すぢかいはし西ヘ入 出雲寺
四〻 さいをんじ 同くらま口下 西園寺
五〻 じやうせん寺 同くらま口北かわ 上善寺
六〻 十ねんし 同今出川上二丁め 十念寺
七〻 ぶつだじ 同となり 仏陀寺
八〻 じやうけゐん 同しんみち上ル丁 清浄華院
九〻 じやうねん寺 東川原新地 「常念寺[1]」廃寺
※ 昭和20年(1945)、大蓮寺と合併
十〻 三ぶくじ 三福寺[1]
十一〻 さいしやうじ 西昌寺[1]
十二〻 さいほうじ 西方寺[1]
十三〻 せいくわうじ 清光寺[1]
十四〻 ぶつくはうじ 仏光寺[1]
十五〻 しんぎやうじ 信行寺[1]
十六〻 大をん寺 大恩寺[1]
十七〻 ぜんかうゐん 善香院[1]
十八〻 きやうあんじ 教安寺[1]
十九〻 しやうれん寺 生蓮寺[1]
二十〻 せんしやう寺 専称寺[1]
廿一〻 しやうねんじ 正念寺[1]
廿二〻 けんしやうじ 見性寺[1]
廿三〻 正ぎやう寺 正行寺[1]
廿四〻 天しやうじ 寺町三でう上 天性寺
廿五〻 せいぐわん寺 同三でう下 誓願寺
廿六〻 さいくわうじ 同はらおびのまへ 西光寺
廿七〻 ゑんふく寺 同たこやくしとなり 円福寺
※ 明治16年(1883)、現在地へ移転[2]
廿八〻 あんやうじ 同となり 安養寺
廿九〻 ぜんてうじ 同南となり 善長寺
三十〻 りやうれんじ 同南となり 了蓮寺
※ 明治34年(1901)、現在地へ移転
卅一〻 さいりんじ たこやくしのずし 西林寺
※ 昭和44年(1969)、現在地へ移転
卅二〻 しやうらくじ 同南西かど 常楽寺
卅三〻 正がくじ 同ひがしがは 正覚寺
卅四〻 しやうみやうじ 同南となり 称名寺
卅五〻 さいどうじ 同南となり 西導寺
卅六〻 大りうじ 同南となり 大龍寺
※ 昭和51年(1976)、現在地へ移転
卅七〻 しゆん長寺 寺町四でう下 春長寺
卅八〻 大うんゐん 同南となり 大雲院
※ 昭和48年(1973)、現在地へ移転
卅九〻 しやうきやうじ 同南となり 浄教寺
四十〻 とうげんじ 同あやのかうじ下 透玄寺
四十一〻 しやうくわうじ 同南となり 聖光寺
四十二〻 きやうえん寺[3] 同南となり 勝圓寺
四十三〻 くうや寺 同南となり 空也寺
四十四〻 じやうぐはんじ 同南となり 乗願寺
四十五〻 ゑいやう寺 同南となり 永養寺
四十六〻 しやうこく寺 同南となり 浄国寺
四十七〻 本がくじ 五条通ふや町かど 本覚寺
四十八〻 新ぜんくわうじ 同下寺町 新善光寺
[1]いずれも、宝永5年(1708)の大火後、寺町通から現在地へ移転しました。 元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、寺町通沿いに常念寺から正行寺までの各寺院が描かれています。
[2]元治元年(1864)の京都の大火災や土地没収による境内の大幅縮小がきっかけで、明治16年(1883)に三河国額田郡岩津村(現・愛知県岡崎市)の妙心寺と寺号を交換し、本尊を含むほとんどのものが移転されました。 現在、元・円福寺の場所には妙心寺があります。
[3]宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、聖光寺と空也寺の間に「正円寺」と法然寺(現・右京区嵯峨)があります。 厳密には正円寺(=勝圓寺)は聖光寺の東側に位置しますが、この地図と文字の類似性から「きやうえん寺」は「志やうえん寺」の誤記と考えています。

更新日:2015/09/12